シリア・クルド人リーダー語る、「北シリアはクルド人が治めている」
2012年07月25日付 Hurriyet 紙


PKK(クルド労働者党:非合法)のシリア国内における関連組織「民主統一党」(PYD)のサーリヒ・ムスリム共同党首は、BBCトルコに対する個人的インタビューにおいて、シリア国内のクルド人が最近講じた措置に関し重要な声明を出した。イスタンブル工科大学(İTÜ)卒業の化学エンジニアであることを明らかにし、「だから、私のトルコ語はイスタンブルのトルコ語であり、ウルファのトルコ語ではない」と同氏は述べた。

シリアの首都ダマスカスで、7月18日に、ダウード・ラージハ国防相、アーシフ・シャウカト副国防相、ハッサン・トルコマーニ副大統領補佐官、そしてヒシャム・イフティヤル国家治安局長が死亡した爆弾攻撃の後、シリアの危機は、新しい段階に入った。

その後生じた重要な展開はと言うと、シリア北部のクルド勢力が、クルド人が集住する地域の町をコントロール下に置き、自主管理を行い始めたことだ。

PKKの関連組織PYD内の「人民会議」と様々なクルド人団体からなる「クルド国民評議会」は、(イラクのクルド人地区の)マスード・バルザーニー大統領の主催で7月9日-10日にアルビルで開かれた会合の後、諸勢力の糾合を決定をした。

この決定の後、新しい政治のプロセスの準備を進めるクルド人達は、爆弾攻撃で均衡が崩れた後、自治管理を設け始めた。このプロセスで最も重要なアクターは、PKKの関連組織として知られるPYDであった。

今日まで、アサド政権からも武装した反体制派からも距離を置いているPYDは、この攻撃と共に政治展開の中で地域における重要な政治的アクターとなった。国家的規模において、アサド政権と自由シリア軍のような武装反体制派の闘争が決定的となった展開で、クルド人の行動がとても重要な役割を演じることとなるであろう。

クルド地域で発生する出来事に関し地域での情報が錯綜する中、PYDのサーリヒ・ムスリム共同党首はBBCトルコに語った。

---シリアで政権に対する爆弾攻撃の後、最も重要な政治的展開はクルド人地域の統治が1つ1つ、クルド国民評議会やPYDの支配に入ったことである。シリアのクルド人達と特にPYDは、この動きの中で何を目指しているのでしょうか。

クルド社会としてこの事態を分析した。このため、当初から策を講じた。人びとを組織し、各地に委員会を設置した。これは以前からの活動の継続であった。事態に対応したものだった。組織化された民、人間は、どんな状況に直面しようと、効果的に対応しうる。衝突が広がっており、シリア全体に広がり、ほぼクルド人地域にも到達し、衝突の時が到来した。この衝突が私達の地域に飛び火しないよう、この地方委員会(設置)を開始した。民は立ち上がり、現地の体制側の組織・支部を追い出した。「我々は、自主統治が可能であり、その力がある」のだと、そうした。

---つまり各地の組織がシリア国家権力から実権を奪う試みは、実のところ「政府軍と自由シリア軍の闘争がクルド地域へ広まらないように、また、クルドの民が被害を受けないようにと」と実施されたのだろうか。

これはある措置である。アフリーンで始まり、コバーニーへと広がった。そこの民は体制側の組織・支部を統制下に置き、政府軍を排除し、自主統治している。同じことが、後にデリキでも起こった。今では、民はもうすべての組織・支部を統制下に置いて、自ら統治している。この目的は、民の保護である。

■「抵抗せずに従った」

---地域から届いた情報によると、政府軍は、実権の奪取に対し実力行使にでなかった。この状況をあなたはどう読みますか?

1、2ヶ所では抵抗はあった。我々でも死亡者もでた。1ヶ所はカーミシュリーで、もう1ヶ所はデリキだった。負傷者もいた。敵側でも死者もいた。闘争はこのような小さな規模だった。コバーニーやアフリーンでは、彼らを抑える為に12時間を要した。彼らも民衆が立ち上がったのを目にした。

---つまり、たくさんの血を流さなかった理由の1つは、すぐに戦闘に着手せず、まず警告を与えたことですか。

そうだ。「クルド人地域から出ていくならば、我々の対応も変わる」と警告した。彼らも始めから我々のデモのことを知っている、民の要望が何かを分かっている。そのため、血を流すことなく彼らは従ったのだ。これは良かった、血を流すことは我々も望んでいない。他の町、例えばカーミシュリーでも、流血がないよう望んでいる。血を流す攻撃がないことを望む。でも、民は自治をおこなっている。

■「分離政策を求めていない。独立を求めていない」

---戦闘が地域に被害を与えることを避ける以外にPYDの政治的要求は何なのか。現状の国境内で、シリアの北部で自治政府(設立)を目標としているのだろうか。

まず 訂正したいのですが、我々はこの地域を西クルディスタンと呼んでいる。我々の望みは、最初から明らかであった。民主主義体制下において、つまりシリア国家の枠組みの中で、クルドの民が憲法上認められ、そこでの国民的権利(教育、母語など)を与えられることを含む計画につき、4年の歳月を費やしている。これを民主主義的自治と呼んでいる。この民主主義的自治は自主独立の意味ではない。これを記した小冊子を配布し、全員に与えた。これはクルド人の為だけではない、望むのであれば、他の地域でも同じことを実施することが可能である。

---民主主義的自治の要求についてアサド政権の態度をどう評価しますか。

彼らは、ここ4年間「これは分離を意味する」と考えている。我々はそのようにはもちろん、考えない。シリアの今の枠組みの中で民主主義的権利の範囲内で、これを考えている。我々は分離・分立政策を追求していない。ご存知の通り、我々はアラブ反体制派と関係がある。PYDとして国家調整評議会に属している。独立の要求もなければ、連邦制の要求も無い。この民主主義的自治とは、地理的意味での国境線を思い描いていない。

■「自由シリア軍との関係は良い」

---トルコのザマン紙へ話をした自由シリア軍の高官は、PYDがシリア北部で独立政府設立を求めていると明らかにし、PYDをひどく批判しました。この発言をどのように捉えますか。

自由シリア軍との関係は良い。この発言は自由シリア軍を代弁するものではない。自由シリア軍の対応はこのようなものではない。トップ(の考え)についていっているのだ。彼らから「クルド民も革命の一員である。彼らを祝福する」と言うようなすばらしい言葉を聞いた。とても喜ばしいことだ。

---つまりあなたはシリアの中央政府が誰の手にあろうと、民主主義的自治の為に闘うのでしょうか。

そうだ。もちろんシリアで民主主義政権を望んでいる。現在の政府は決して民主主義的ではなかったし、今後なるとも思えないが、我々の要求実現の為にダマスカスに民主主義的政府が必要である。

---現在の反体制派のような民主主義的政府を設立できると思いますか。

反体制派もそれぞれ個々の立場がある。我々と関係のある反体制派は、我々の要求を受け入れるし、とても道理をわきまえている。

---自由シリア軍もその中に含まれるのですか?

彼らもそうだ。他も、外部と繋がりのある勢力は認めていない。しかし、民主主義的な反体制派、シリア内の反体制派はあらゆるものを認めている。

---理解する限り、ここ最近、あなた方はシリア政府側ではないようですが、自由シリア軍のような反体制軍と協力して政権に対し、武力を行使しませんでした。あなた方の要求が受け入れられるなら、なぜこうした勢力と協力を結ばなかったのですか?

それは正しくない。我々は、2003年の設立以来、政党として、戦闘に関わって来た。2004,2005,2006年に死者が出た。シリア革命、アラブ の春、民の春と言うのか、それが始まった時期には、体制側の監獄には、我々の仲間1,550名がいた。そのために、彼らに協力できずにいた。戦い続けていたが、幾分自主路線といえる。

---あなたは、クルド地域における統治の変化はトルコ地域との関係にどのように影響を与えると思いますか。

まず言いたいのは、民の間の友好関係強化を望んでおり、そしてその為に動いている、ということだ。我々はトルコの民といかなる問題も無い。ここで取った措置は、自らの民を守る為であり、(そうすると)ある立場の側に対立することになる。しかし、残念なことにトルコ政府にはクルド嫌いがある。クルドが権利をどこかで得ると、彼らにとって不当なことになる。我々はシリアの民主主義化の実現まで、民を守る為に働く。これは我々にとって、当然の権利だ。誰にも非難する権利はない。

■「我々に攻撃しなければ、我々は誰にも攻撃しない」

---今後もシリア政府に対して直接の武力行使を行わないつもりですか。

我々を攻撃しなければ、我々は誰にも攻撃しない

---イラクのクルド政府との関係はどの程度ですか。

彼(マスード・バルザーニー)の呼びかけで、地域における2つの会議に参加し、互いの理解を深めた。この尽力には感謝している。しかし、彼は全く内部の問 題には関わっていない。相互合意によって、1つの委員会を作り、最初の会合が行われる。その後、下部委員会も作られるだろう。しかし、これはシリアのクルドが自主的に描いたことだ。

---この中には多くの組織がありますが、最大の演者はPYDなのですか。

PYDは政党だ。これはPYDではなくて人民会議といえ、西クルディスタンの人民会議である。 さらに国民クルド会議だ。こちら側の下部には15の政党が存在する。これには、NPOがあり、PYDが存在する。PYDのために作られたものはない、2つの会議の間に作られた。

■「PKKと組織的な関係はない」

---トルコメディアではPYDに対し、”PKKのトルコにおける関連組織”という表現が使われている。この定義をあなたは正しいと思いますか?

独自の哲学的・イデオロギー的アプローチがある。これを当然公に発表している。だが、如何なる組織的な結びつきも、誰とも(関わりを)持っていない。さらに、多くの噂もある。PKK党員たちが、国外から入ってきたものといわれている。誰1人としてそんなことはない。全て無根拠だ。自力で自らの民の力で、組織運営をしている。これは、最近発表された。民族防衛隊の名のもと、いくつかの組織から構成されている。これらの全ては若者(の組織)である。民を守るためである、誰かのためではない。

---どのくらいの武力を所有されているのか情報を頂けますか。

数としては分からないが、全西クルディスタンに渡る。民の大部分は我々の側で、我々を支持している。

■「トルコ人たちとの共通の歴史がある」

---最後に、何か付け加えることはありますか。

まず始めにトルコの民に対して述べたい。我々は決して、トルコの民の敵ではなかったし、これからもならない。共通の歴史がある。為政者に言いたいのは、あなた方が クルド嫌いから解放されれば、中東にも少し平和がもたらされるだろう。他の中東の民に対しても述べよう。我々は一度たりとも、どの民に対しても敵になりたくはない。民の間の友愛と協調を望んでいる。民主主義的に、互いに分かり合うことを望んでいる。

---あなたはシリアのクルド人です。どうしてそんなにトルコ語が流暢なのですか。

私は化学エンジニアだ。イスタンブル工科大学を卒業した。私のトルコ語はだから、イスタンブルのトルコ語で、ウルファのトルコ語ではない!

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( 翻訳者:田中けやき )
( 記事ID:27127 )