Cevdet Askin コラム:PKKとのシェムディンリ攻防が示すもの
2012年08月01日付 Radikal 紙

ビュレント・アルンチ副首相がシェムディンリに関し、軍事作戦が続いていると言及するに留まっているのは、事態が深刻であることを示している。

誰が何を言ったのか?何をしたのか?何を意味するのか?

■アンカラ

政府報道官でもあるビュレント・アルンチ副首相は、昨晩(7/30)行ったシェムディンリに関する会見で次のように述べた:「継続している軍事作戦は、治安部隊による必要不可欠なものである。この作戦の詳細を逐一明らかにする必要は無いと考えている。」
ユクセキオヴァ郡のイェシルタシュ村とダールジャ村を結ぶダールジャの2橋は(PKKにより)爆破された。ドアン通信(DHA)の昨日(7/30)の情報によると、橋が使えなくなったため2つの村の間の交通は完全に切断されたという。
さらにドアン通信の昨日(7/30)の情報によると、シェムディンリ郡のルズギャールル村、バーラル村、イーイトレル村にいるPKKに対する航空支援作戦は3日目に入った。シェムディンリのセダト・トレ市長は昨日、ソーシャルメディア上で、シェムディンリ郡の中心部から1㎞離れた場所で衝突があったと述べた。

■北イラク

フランス石油企業トタルは、アルビルの北東に位置するハリル、サフェン鉱区での石油採掘に参加した。フランス通信社(AFP)の昨日(7/30)の情報によると、トタル社は、米企業マラソンの採掘事業において、35%の採掘権を得たという。

■シリア

クルド高等評議会のメンバー、アルダル・エクセリル氏は、アルビルで行われた会議のあとの会見で、「トルコは西クルディスタンのクルド人の意思を認めるべきだ」と言った。フラト通信の昨日(7/30)の情報によると、エクセリル氏は、会議で旗と組織化モデルについて議論し合ったことを述べたそうだ。氏は北イラク・クルド自治政府のマスード・バルザー二ー大統領の望み通りアルビルを訪問したと言い、次のように語った:「クルド人は近隣に害を与えない。再度、アラブ世論にもシリア世論にも知ってほしい。我々は地域にとっての脅威ではない。それにシリアの領土分割にも賛成はしていない。」

■PKK

PKKの軍部HPGは、7/23に開始させたシェムディンリへの攻撃が続行していると明らかにした。フラト通信の昨日(7/30)の情報によると、会見ではイエシルタシュ-ダールジャ間の橋が破壊されたことにも言及されたようだ。

■これらの展開は何を意味するか

トタル社が北イラク石油地帯での採掘事業に参加することは、アルビルがバグダットに対しより権限を強化すること、独立の方向に向かっていることを示している。
アルビルがエクソンモービル、シェブロン、トタルのような石油メジャーの「安全な傘」の下に入ることは、アンカラ政府にとって、シリアとPKKの問題における不利益を生じさせている。クルド高等評議会のアルビルでの会議を考えても、この状況下で今日(7/31)予定されているトルコのアフメト・ダヴト オール外相のアルビル訪問から、バルザー二ー大統領がシリアにおけるクルド人の組織化への支持を引き出すような結果とはならないであろうことは、容易にわかる。エクセリル氏の発言は、シリアのクルド人による、国際計画において合法的な位置にとどまろうとする努力に反している。PKKが以前襲撃した2つの警察署があった村々の間の交通を切断することは、今後も警察署を狙うのではないかという印象を与え、支配領域を拡大しようとしていたとも考えられる。
アルンチ副首相がシェムディンリに関してコメントしたがらないのは、事態が深刻であるということを示唆している。なぜなら副首相は、出てきた情報はPKKのプロパガンダだとも、治安部隊は事態を掌握しているとも言えないからだ。それよりも政府はことの経緯を見守っており、参謀本部が会見を行うことに賛成しているように思わせている。何はともあれ「公共の知る権利」に反することが続いている。

■筆者覚え書き

2007年10月にレフェランス紙上で始まり、2010年10月以降はインターネットサイトradikal.com.tr上で継続して掲載されている「北イラク日記」という連載記事では、本質的に「誰が何を言ったのか?何をしたのか?何を意味するのか?」という基本方針に従って、特定の瞬間を切り取りながら、将来的な予測を行っている。筆者はトルコにおけるクルド問題とPKKに関し、公にされた情報源を精査することから得られる重要なデータのみを用いている。このためどの情報源と比較してもより多くの引用がなされていることが、その具体的な成果である。筆者は、問題がとても動的であるが故に、新たな展開が起きた時でも様々な予測を行い得るという意識を持ち、分析されたデータも日付や時間で(その有効性に)限界が定められていることも当然と考えている。筆者の客観性を基本的な判断基準とすることが、問題がどうやって解決されるかということに関する一つのヒントにならないというわけではない。さらに筆者は「群れから距離を置くこと」をあえて行い、問題に関心のある人びとに簡潔でまとまった情報源を提供する様々な形式を守ることに注意を払っている。

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( 翻訳者:大嶽真梨子 )
( 記事ID:27235 )