ボスフォラス海峡を守る4聖者
2012年08月02日付 Zaman 紙


イスタンブルを東西に分ける海には4人の守護聖者がいると言われている。アズィズ・マフムド・ヒュダイ、ヤフヤ・エフェンディ、ユシャ・アレイヒスセラーム、テッリ・ババである。船乗りたちはその一人一人が異なる丘からボスフォラス海峡を照らしていると信じている。

イスタンブルのボスフォラス海峡はいつも異彩を放つ写真のようである。タンプナル氏の「ボスフォラスとウスキュダルがあればトルコのイスタンブルはなくならない」という言葉がある。ボスフォラスの冷たい水にはまるで歴史や文化・文学が手を取り合って流れているようである。それに加え、ボスフォラス海峡には何世紀もの間変わらず神聖なものがある。

オスマン帝国時代の船乗りたちは、ウスキュダルにはアズィズ・マフムド・ヒュダイ、ベシクタシュにはヤフヤ・エフェンディ、ベイコズにはユシャ・アレイヒスセラーム、サルイェルではテッリ・ババという聖者がボスフォラス海峡の守護者であると信じていた。昔ボスフォラス海峡を航海した船長らは、ボスフォラス海峡 のこの偉大な守護聖人に守られ航海に出た。そして、これは何世紀も伝統として続いていた。

乗客たちに、ウスキュダルを通るときアズィズ・マフムド・ヒュダイに、ベシクタシュを通るときはヤフヤ・エフェンディに、ベイコズを通るときはユシャ・ アレイヒスセラームに向けてコーランの開扉の章を詠むよう呼びかけた。オスマン帝国末期まで続いたこの伝統は、イスタンブル史の中で参詣地の地図をつくりあげた。ラマザン月に訪問者が殺到したこの霊廟は現在私たちが忘れてしまった伝統を思い出させてくれる。この町を今なお見守ると信じられる「守護聖人」にコーランの開扉の章を送りましょう、ボスフォラス海峡から。

■船乗りが祈りをささげた修道場

シェイフ・ヤフヤ・エフェンディ:ヤフヤ・エフェンディはベシクタシュ出身でオスマン帝国時代のスーフィーのうちの一人である。そして、オスマン帝国最盛期にイスラーム学院教授をつとめた。スレイマン大帝と乳兄弟であったヤフヤ・エフェンディは、ベシクタシュに修道場を建て、1569年の犠牲祭の夜に亡くなった。オスマン帝国の時代にはヤフヤ・エフェンディは艦隊の守護聖者であると考えられた。ヤフヤ・エフェンディのお墓は1571年にセリム二世の命によりミーマール・スィナンがつくった。この霊廟はエルドアン首相の指示により2009年から修復作業が行われ、もう終了する見込みだ。

■コーランの開扉の章を読む者は仲間である

アズィズ・マフムド・ヒュダイ猊下:ブルサで裁判官をしていたときウフターデ猊下の弟子となったヒュダイ猊下は、ムラト三世、 メフメト三世、アフメト一世、オスマン二世、ムラト四世(といった歴代君主)の助言者をつとめたため、「スルタンに助言を行うスルタン」として記憶されている。アズィズ・マフムド・ヒュダイは「日々は過ぎ去っていく。鳥のように飛んでいる。悪事を考える人の場所は地獄。良いことを考える人の場所は天国 」との対句を心に宿した。彼は、ウスキュダルのドアンジュラルにモスクと修道場をつくり、1628年にここで亡くなった。アズィズ・マフムド・ヒュダイは次のような有名な祈りを唱えた。「生前は本人を、死後は墓を訪ねてくれる人、私たちの墓の前を通るとき開扉の章を詠む人は、仲間である。私たちを好む者が海でおぼれませんように、来世で不遇を託ちませんように、信仰から遠ざからない限り死にませんように」

■ボスフォラス海峡の最期の挨拶の場

ユシャ・アレイヒスセラーム:ユシャ・アレイヒスセラームはベイコズのユシャ丘に墓があるとされている。しかし、歴史上の情報によるとイスタンブルを訪問した ことはないそうだ。言い伝えではムーサー・アレイヒスセラームとボスフォラス海峡に来て、ここに埋葬されたといわれている。この丘は1755年にイルミセキズ・ メフメト・チェレビがここに礼拝所を建てたことで知られた。彼はユシャ・アレイヒスセラームのものであるといわれる墓の周りを壁で囲った。 お墓参りはセリム三世の時代、民衆の参詣が多いために禁止された。モスクは1863年に君主アブデュルアズィズにより再建された。ユシャ・モスクとその霊廟は特に日曜の朝混み合う。

■サルイェルから冷たい水に精神的な風が吹いた

テッリ・ババ:イスタンブルの4人の守護聖人のうちの最後の一人である。テッリ・ババの生涯に関する情報は少ない。ルメリ・カヴァウにある彼のお墓は、訪問者で常に混み合っている。特に結婚願望のある若い女性が殺到することは、考えなければならない問題だ。テッリ・ババに関し最もよく言われるうわさは次のものだ。テッリ・ババの本名はイマーム・アブドゥッラー・エフェンディで、メフメト二世の時代に戦陣のイマームをつとめている際に殉教者となる。病気の若い女性が彼を夢で見たことにより彼の墓は知られるようになった。その日以降治病と良縁を望む人々が訪れるようになった。

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( 翻訳者:畔上曜子 )
( 記事ID:27246 )