Cuneyt Ozdemirコラム:新PKKとのメディア戦
2012年08月14日付 Radikal 紙

新たなPKKのプロパガンダ的活動に直面した際、なすべきは規制ではなく、透明性(パブリシティ)を持った対処である。

映画「The Gods Must Be Crazy(邦題:ブッシュマン)」を覚えているだろうか?最近、PKKの新たな企みを検証していると、まずこの映画タイトルが頭に浮かんだ:「PKKは頭が変になってしまったに違いない」

ともあれ、最新のシェムディンリ攻撃により、PKK側では150人が死亡した。未だこの時のショックが癒えぬ中、今度は、PKKは初めて国会議員、よりによってトゥンジェリ県選出CHP議員であるヒュセイン・アイギュン氏を誘拐した。どうも「新PKK」が存在しているようだ。これは、今までになかったような新たな戦略を発展させ、組織化を行い、活動を行い、国会議員を誘拐する新しいPKKなのである。

それでは、新PKKの新しいタイプの活動の目的とは何であろうか?
こうしたことを言うのは時期尚早かもしれないが、最大の目的はメディアに取り上げられることにあると思われる。最近の活動は全てメディアを意識したものであり、周到に練られている。シェムディンリ中心部を掌握したことを表す写真は、セムディンリの掌握自体よりずっと重要なことである。新PKKはセムディンリで、ゲリラ戦でなく正面切っての戦いをあえて行おうと努めてきた。

■「新PKK」はアイギュン氏を交渉でどのように用いるのか?

CHPのヒュセイン・アイギュン議員誘拐も新PKKの「プロパガンダ的」活動の一環である。今日までPKKが誘拐してきた人物がどういった目にあってきたかを見てみると、おそらくヒュセイン・アイギュン氏は長時間山の中を歩いた後、国境外へ出されるだろう。PKKが誘拐後に行った声明で、軍事作戦の中止を望んだ意図はここにある。数年前、PKKに誘拐されたジャーナリストのカドリ・ギュルセル氏の話にあるように、軍事作戦により人質の命が危険に晒されることは事実だ。もし、ヒュセイ・アイギュン議員が軍事作戦実施に関わらず無事に国境線外へ逃れられるならば、それはBDPを初めとする国会議員代表団による交渉次第だ。

新PKKがCHPのヒュセイン・アイギュン議員との交換条件で何を欲するかに、私の関心がある。今日まで誘拐されてきた兵士、行政区の長、教師は毎回、PKKの「良心」を示すものとして、無条件で自由に解放されてきた。今回は、状況は異なるかもしれない。

PKKはおそらく、ヒュセイン氏のメディアでの扱われ方を見るにつれ、この貴重なカードを最後まで利用するだろう。交渉は難航を極め、交換条件も発生することであろう。
PKKの要求が「コースター」であっても驚きはしない。
そう、ちゃんと動いて、故障せず、壊れないコースターだ。
「PKKはコースターを山でどうするのか?」などと問わないことを願う!

■数名の兵士が殉職したと…

AKPスポークスマンのヒュセイン・チェリキ氏から漏れたこの発言は、間違いなく頭痛の種となる。政治史に残る大きな失言であるが、この発言全体を見るにつけ、もともとヒュセイン・チェリキ氏の意図は全く別のところにあったとみることが出来る。チェリキ氏の発言と行動、すべてをくみ取ってみると、新PKKの新戦略に対し、国家は立場を守る戦いに入ったと見ることができる。政府はPKKの性格付けを避けたく、国会での論議を避けたいのである。ヒュセイン・チェリキ氏は当然のこととして、国会が召集されたとしても、何ができるのかということを問うているのである。対テロ戦争関連の妙案はない。対テロ戦争において方針変更を行うわけでもない。国会で取るべき新しい決議もない。すなわち西部戦線(アンカラ)には特段新しいものはない。その場にとどまりつつ、「数名の兵士の殉職が続いている」が、それにも我々は慣れてしまっている。

■新PKKとの本当の戦い

PKKの新戦略はおそらく、トルコ国内で特にメディアに向けた新たな「報道規制」でもって挫かれることとなるであろう。少なくとも、セムディンリの例から分かる通り、こうした状況で国家はメディアに対し「規制」を敷く。過去、つまり90年代にこの報道規制は軍により厳しく敷かれてきた。

PKKに関する報道を妨害するため、軍高官はアンカラにいる代議士ら、更にメディアの幹部に電話を掛け、「お願い」を行っていたものだ。ただ、時代は変わったのだ…今や電話のむこうの「お願いをする者」は文民だが、やっていることは、同じ「規制」である。2012年と1990年代を分けるものとしてソーシャルメディアという現実がある。テレビ局、新聞が黙ってもソーシャルメディアでは正しい情報も誤報もウィルス並みの速さで広がるのだ。PKKが求めても得ることが出来ない、一つのチャンスである。事件はたちまち大きくなり、噂が独り歩きして、混乱に発展するのだ。ポイントはここだ。このような状況で、PKKの新戦略に対して未だ90年代をモデルにした規制的アプローチで答えるならば、最初から失敗へ向かっているということである。というのも、「口づての噂」をソーシャルメディアが奪ったことに不満であるかのように、こうした中にフラト通信(ANF)のような、この地域のニュースを集めることのできる多くの「クルドソース」が加えられた。

つまり、新PKKのプロパガンダ的活動に対する答えは規制ではなく、透明性(パブリシティ)を持った対処である。情報にたいしては真の情報で戦わねばならない。この戦争では正しく時宜を得た真の情報こそが、勝利に結び付くということである。偽情報を流すものは負けるのだ。

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( 翻訳者:山根卓朗 )
( 記事ID:27348 )