Oral Çalışlarコラム:AKPの危機と、イスラム派知識人
2012年08月08日付 Radikal 紙

イスラム派知識人らの反応は、自陣を成す新たな反対派の公正さと(表現の)自由を求める声の表れである。

「公正発展党(AKP)に政治的衰退が起こっているか」という問いは、今日においてさまざまな周囲が口にする所である。エルドアン首相によれば、すべて順調だという。アンケートをさらに議論する必要があっても、AKPを過去に支援し、投票し、党に希望を抱いた周囲が失望を深めているのは明らかである。

ある党が衰退に陥ることが、即座にアンケートもしくは投票に反映することはないかもしれない。衰退は、しばしば社会のある層において(「革新」派において)始まり、徐々に広がっていく。

昨年のクルディスタン社会連合(KCK)捜査の際、「民主主義知識人」をも狙った逮捕・捜査ラッシュが起こった。昨日までその評論が注意深く耳を傾けられていた層である「知識人」は、徐々に「反対派」と認識され始めている。当初、共和国が生み出した中産階級や軍部‐官僚エリートをターゲットにし、また自身を「抑圧者の代弁者」だと位置づけたAKPは、現在殊に知識人らに不満を抱いている。

■イドリス・ナイム・シャーヒン内相

伝統的国家主義者の理屈は、熟慮を経ずに再びよみがえっている。例えば、シャーヒン内相は「対PKK闘争」においてコラムニストを敵と見なしており、彼らをターゲットにしている:

「国の非常事態は実際の衝突分野に関するだけではない。さらにこれはイスタンブルでペンを通じて続いており、書籍を通じて続いている。ゲチムリで撃たれた迫撃砲と、ここアンカラで書かれた記事は同じようなものだ。」

長々とした言葉は必要ない、全ては明らかだ…。注目すべきは、エルドアン首相が特にここのところ、この「考え」の裏にあるビジョンを示したということだ。

おそらく首相の「新たな心理」を、イドリス・ナイム・シャーヒン内相は代弁している…。あなたがたは解決策を生み出せないならば、公正さおよび表現の自由を問題とし始めるだろう。(権力をもつ者の)失政と視野を狭隘にする「基本的本能」の1つがこれである。

■刑務所が政治家であふれたら…

ある国の刑務所が学生であふれたら、人が顧みられずに死に追いやられるなら;ある国の司法が首相をも批判させるほど職権乱用を犯しているなら;警察が、「自身の権利を要求する」何千人もの政治家を、何十人もの新聞記者を、何百人もの士官を含むグループを、「テロ組織メンバー」にとして捜査を行うなら(そしてこれさえも十分としないなら)、その国では民主主義文化について表面上ですら言及することは難しいだろう。

過去におそらく僅かな層が不満を述べた動向は、現在より幅広い層に広まっている。注目すべきは、イスラム派をもその中に取り込み始めたということだ。

この点から、ウルデレ事件はその端緒だった。イスラム派知識人らの有力な層は、ウルデレ事件についての政府の対応を批判した。彼らはある記事で、政府に良心に訴えかけ、クルド人に謝罪せよと呼び掛けた。イェニ・シャファク紙のアリ・アケル記者は解雇された。

最後に、イスタンブル対テロ闘争副局長に任じられた、拷問をおこなう警官の側にエルドアン首相が立ったことは、イスラム派における思惑を深めることになった。

あるグループの「イスラム派」知識人はアブドゥッラー・ギュル大統領を訪問し、ディンク裁判における不正義を非難した。オメル・ファルクゲルゲルリオール氏やジェマル・ウシュシャク氏、ユルドゥズ・ラマザンオール氏、ヒラル・カプラン氏から成る一団は、司法の公正さために大統領に訴えかける必要を感じた。

政権がこれほど強力であれば、政権は、それを手にする者を、個人的価値、(過去の)キャリア、良心のフィルターから遠ざけて、あるメカニズム内のロボットに変えてしまう。(政権は)全てを正しく対処していると思い始め、善意に基づく批判を敵意と見なしている。例えば、党会議で暴行者が昇進することを批判する友人を「PKK広報から情報を得たもの」と批判することに繋がりかねない。

イスラム派知識人らの反応は、自陣を成す新たな反対派の公正さと(表現の)自由を求める声の表れである。

(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介
されています。)

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( 翻訳者:安井 悠 )
( 記事ID:27363 )