Abbas Gucluコラム:教育新年度を前に
2012年09月09日付 Milliyet 紙

70~80人の教室、午前中の生徒と午後からの生徒の分を合わせると16時間授業を行わなければならない学校、さらには辞令が出ていない4万人の教師と異動した6万人の教師。
さらに、十分な人員が配置されていないために少なくとも5万人の教師と離れ離れになる数千人の教師の家族。
いまだ報告書を求める保護者、予算不足で苦しんでいる学校長、修理がいまだに終わらないためどうしようかとうろたえている首長、基準の人数を超えた教師、そして新教育年度に向けて出された大言壮語、これら全ては思い出したくもない事柄だ。
学校が開始されさえすれば十分である。小さい子たちは、明日から学校が始まる。大きな子たちも来週から学校が始まる。
昔から問題はなかったのか。もちろんあった。しかし今年は例年より多いようである。さらに絶望的なことは、問題の存在自体が認められていないことである。上から下まで、皆が問題を見ないふりをして無いものとしている。これも、解決を難しくしている。「移動は道すがらより良いものになる」という理屈を考えても今回はどのように扱うべきか。願うのは、新たな問題が発生しないでほしいということである。なぜなら、もはや教師も保護者も生徒の新たな問題を解決するのは難しいからだ。一部の人が、私のこのような考えに腹を立てたとしても、私がいまだにディンチェル大臣の善意と誠意が私たちの最も重要なモチベーションとなっていると信じている。そして、私たち皆がこの過程で彼を支援していくべきである。なぜなら、今後生じる問題は単に彼だけでなく私たちの子供と私たちの国の将来に密接に関係するものだからである。
もはや、批判ではなく支持する時である。しかし、同じ誠意を国民教育省と高等教育機構(YÖK)にも期待している。例えば、理系高校とアナドル高校と大学における空き定員に関してである。誰一人として空き定員を指をくわえて見ていてはいけない。解決を来年に持ちこそうとしてはいけない。

(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介
されています。)

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:27568 )