Abbas Güreşコラム:教育における最重要問題は何か?
2012年09月10日付 Milliyet 紙

教育における最重要問題は何か?この問いへの答えは非常に難しいというわけではないが、まとめるのは容易ではない。なぜなら何百もの答えがあり、一人一人(その答えが)異なっているからである。そのため、教育の一般的問題の代わりに、今日は重要な問題を2つだけ取り上げたいと思う。

初めに、エルドアン大統領が年内に廃止すると発表した予備校について、次に、完全に無視されているトイレ問題についてである。

■予備校は閉鎖か?

エルドアン首相が、首相である立場を超えて1人の祖父として予備校の廃止を望んでいることを、そしてこの点での断固とした態度を、我々心から支援する。我々だけでなく、全ての保護者、教師、学生、そして予備校自身でさえも同じ意見であると私は確信している。

しかし、予備校を廃止すると口で言うだけでは、そえrがなくならないことも、我々はとてもよく知っている。なぜなら現在のシステムが予備校を生み出し、学生は予備校を必要不可欠としているからだ。

このためまず第一に、システムを整える必要があるが、それはこのように(たったの)1年で行えることではない。10年間政権の座にある彼らは、試験に基づいた教育システムをどこまで正すことができたのか、これまでの10年間の成果と、今後の見通しを口にすればいい。

振り返ってみると、この10年で試験制度を変えすぎたため、予備校の数も3倍、5倍へと増えた。そして政府が試験の廃止や予備校廃止と口にしようと、結果はすべて正反対になった。

再びこのような光景に出会わないことを祈る!

この点でエルドアン首相にもっと多くの情報を伝える必要がある。なぜなら、予備校は一元的なものではないからだ。

例えばアナドル高校と大学向けの予備校を廃止し、学校を作ったが、さて公務員試験(KPSS)、医療専門試験(TUS)、公務員語学試験(KPDS)、運転免許証取得試験の他いくつもの試験に関する予備校はどうなるのだろうか?

もしこの点で何か改革を行おうと望むならば、まず学生たち、あるいは公務員試験(KPSS)の際の教員志願者に対し、彼らが学校で学ばなかった事項を試験で問うことをやめるべきだ。

職業高校の学生は、予備校に行かずに、もしくは特別な補習を受けずに大学にどうやって合格できると言うのだろうか。体育教諭や音楽教諭は、予備校に入って数学を習わずに公務員試験(KPSS)でどうやって高得点を取るというのだろう。

さらに重要な事は、シュルナクの高校を修了した学生は、(イスタンブルの名門校である)ロベルト・カレッジやガラタサライ卒生と、補習を受けずにどうやって競うのか。さらに、5万人の受験者が選ぶ学部は、試験と予備校が絡まないで、どのように学生選抜基準を設けるのか。

いくつかのプロジェクトは紙上では非常に簡単に見える。しかし実施はかなり難しく、時に不可能である。なぜなら非常に多くの法的問題が起こりうるからだ。例えば商法によると、閉鎖されるのはこんなにも簡単なのか、既卒者はどうなるのか、最重要なのは40年間の習慣はどうなるのか、といったことだ。

忘れてはならないのは、予備校は、失業率を減らしたり、社会的重圧を最小限にする上で、気付かれない重要な使命を帯びていたということだ。その点を無視しないことが必要だ!

そして最後にいいたいのは次のことだ。試験を廃止し、その上で予備校をなくそう。なぜなら、その二つは教育にそして我々の子供たちに非常に大きな害を与えているからだ!ただし、口先ではなく本当に!

■トイレを見くびるな

新学期にはこれほどまでに多くの問題があり、すぐに個別の問題に詳細にコメントはできる。しかし誰にも目に留められない最重要問題の一つは、学校でのトイレ問題と衛生状態である、と確信している!

学生数が増加し、休憩時間が短縮され、その結果、用を足すための時間や環境さえ整っていない。

休憩時間は二交代制の教育を行っている多くの学校で10分から5分に減らされた。100人の生徒に対したった1つのトイレしかない学校がある。また、年少者たちが通ういくつかの学校では、全トイレがトルコ式トイレ、つまり座席付きトイレではなく膝をおって座るタイプ(和式風)であり、5〜6歳の子供用にしては大きすぎる。トイレ時間は短く、そしておそらく初めて見たトイレで、この子たちがどうなるか考えてください!

トイレの前に列が出来ないことを、そして、足を穴に落としてけがをした子供に出会わないことを祈っている…。

ヨーロッパでは、五歳の子供達は、20人学級で学習し、加えて補助教員もいる。なぜなら、あらゆる必要に支援があるからだ。我々はというと、手探り状態である。さてさて、これ以上のどんなことに遭遇するのやら…。

また、トイレを見くびるなかれ、教育はまずここから始まるのだ、教室で行われることは学業のみだからだ!

まとめ:教育は真剣勝負であり甘く見られるべきものではない。性急さに傾かないことも同様に重要だ。このことがいつかわかることやら…!

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( 翻訳者:門野淑香 )
( 記事ID:27573 )