シリアからの流れ弾に撃たれた母娘の物語
2012年09月24日付 Milliyet 紙


アクチャカレでシリア側から来た流れ弾が、まず5歳の娘ゼフラちゃんに、次に生後35日の赤ちゃんに授乳していた母のヘドゥレさんに当たった。以下はその母娘の当時から今までの出来事である。

■「神様が守ってくださいました。神様が守ってくださいました。」

母に抱かれた生後35日の赤ちゃんイサを見ながら、私たちはこのように何回も同じ言葉を繰り返していた。生まれたばかりの赤ちゃんに授乳しているときに、隣に座る5歳の娘ゼフラちゃんとともに、バルコニーから入ってきた銃弾の的となったヘドゥレ・アルマさん(35)は、いまだに事件のショックを隠せずにいる。
シャンルウルファ県アクチャカレ郡のシリア国境で衝突が激化した火曜日、ヘドゥレさんは家の二階で赤ちゃんに授乳していたときに、娘のゼフラちゃんが隣に来た。ゼフラちゃんは、弟のイサに夢中だ。会話の間、何回も行ったり来たりして、産着に包まれた弟の小さなリンゴのように赤い頬にキスをしに来ていた。事件があった日も、授乳のときにキスをしに来ていたそうだ。まさにヘドゥレさんが、「今はダメよ、放しなさい」と言って、手を挙げてゼフラちゃんを遠ざけよ うとしたときに、事件が起きた。扉が開いたバルコニーから中に入ってきた銃弾が、ゼフラちゃんの腕を貫通した後、ヘドゥレさんの手にめり込んだ。ゼフラちゃんはギャーギャーと叫び始めた。ヘドゥレさんは、負傷した手で赤ちゃんを持ち、もう一方の手でゼフラちゃんの腕をつかんで必死に階段に避難した。手から流れる血は赤ちゃんにも付いた。「ゼフラは大声で泣いていました。肉が取れていました。一方の手でゼフラの腕をつかみ、もう一方の手で赤ちゃんを持っていました。さあ、と言って外に出ました。」

■誰に文句を言えばいいのか

彼女は親戚のエミネさんに、「撃たれた、撃たれた」と言って声をかけると、近所の人たちが助けに来た。ゼフラちゃんのぶらぶらした肉を見たおじは、気を失った。近所の人たちと車に乗り、アクチャカレ国立病院に行った。ヘドゥレさんの訴えを、私たちは驚きを持って聞いていた。「私たちは病院に行きました。傷の応急手当をしました。私たちの後には負傷したシリア人たちが病院に運び込まれました。まず彼らを手術しました。そのあと、手にめり込んだ銃弾を取り出すために私を診ました。」

私たちはアラビア語を話すゼフラちゃんと隣に座っているとき、彼女がトルコ語を知らないため、お互いに見つめあうだけでした。小さな女の子は、まだ我に返っていないようでした。彼女が恐怖に満ちた視線であたりを見ているときヘドゥレさんは、娘が最初の夜は眠れなかったと説明した。いまだに夜は時々目が覚めると言う。ヘドゥレさんの夫のムスタファ・アルマさんは、マラトゥヤで荷役をやっている。彼は電話が来たとき、どうやってアクチャカレに行ったのか覚えていない。「妻が電話をかけてきた。ショックだった。すぐに駆け付けた。」ムスタファさんは、被害をどこに知らせるか考えてこんでいた。「誰に文句を言えばいいのか、わからなかった。」と言う時も、思い沈んでいる。ひと月に「なにがあっても」600リラを稼ぐムスタファさんは、仕事のために数日以内にマラトゥヤに戻らなければならなかった。「私が行った後、誰が彼女らをみればいいのか、わからない。」

■大砲の音で泣く

アルマ一家は、その日から恐怖で上の階に全く登っていない。家族は一階に住む(子供たちの)祖父母の家にいる。事件の日から眠れないヘドゥレ・アルマさんは、「昨晩は迫撃砲の音が聞こえたので起きて泣きました」と述べ、子供たちを心配したと話した。片手で生後35日の赤ちゃんの面倒を見ることは大変だが、どうしようもないという。「私は恥ずかしいです。義理の父と母も助けてくれていますが、彼らも年を取っています。私は洗濯物も手で洗っています。洗濯機はありません。やらなければならないすべてのことをやっています。」
ヘドゥレさんは事件を説明した後、私たちを上の階に案内し、銃弾が命中したときに座っていた場所を示した。拭かれたにもかかわらず、階段や壁にはまだ血痕があった。ゼフラちゃんは黙ったままだ。
赤ちゃんのイサはというと、庭にある白い蚊帳のついたゆりかごで天使のようにすやすやと寝ていた。下に降りると、ヘドゥラさんは息子の面倒を見ており、(赤ちゃんが)なんとか助かったことに感謝していた。「まだ生後40日も経っていませんでした。神様が守ってくださいました。」

(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介
されています。)

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:菱山湧人 )
( 記事ID:27690 )