最後の吟遊詩人ネシェト・エルタシュ葬儀に3000人―首相や野党党首も参列
2012年09月26日付 Radikal 紙


有名な吟遊詩人であるネシェト・エルタシュの墓のある場所は、遺言の通りでないとしてエルトゥールル・ギュナイ文化観光大臣の命令で変更された。エルタシュの葬儀には、エルドアン首相、クルチダルオールCHP党首や何千もの人々が参列した。

「草原の撥」の愛称で有名な吟遊詩人、ネシェト・エルタシュは故郷クルシェヒルで最後の旅路へと見送られた。政界や芸術界から多くの人々が参列した葬儀には、何千もの人々も加わった。その中にはレジェプ・タイイプ・エルドアン首相、べシル・アタライ副首相、エルトゥールル・ギュナイ文化観光大臣、ケマル・クルチダルオールCHP党首、ムハッレム・インジェCHP副党首、ギュルセル・テキンCHP副党首、オクタイ・ヴラルMHP会派副代表、メフメト・シャンドゥルMHP会派副代表、憲法裁判所ハシム・クルチ長官らの姿もあった。

ネシェト・エルタシュを追悼する芸術家の中にはエディプ・アクバイラム、サバハト・アキラズ、アフメト・コチ、スアヴィ、オルハン・ゲンジェバイ、スメル・エズギュ、アリフ・サー、ベディア・アカルトゥルク、クバトがいた。

■首相:我々はみな本来不思議な存在なのだ

エルドアン首相は葬儀で以下のように述べた。:

「とても偉大な我々の友であり兄であり兄弟であり吟遊詩人であるネシェト・エルタシュは既に棺の中である。もう話すことはない。しかし彼は彼のすべてを語った;「私は演奏し、詠い、模範となるものを口にし、指針を示した、私は預けられていた私自身を主の元に還し、私もそこに帰る」と言う。
この唯一、一体の世界で、(ネシェト)師はペンネームで不思議な表現を用いた。なぜなら彼はこの偽りの世界を目には見えないものとして見ていたからだ。我々はみな本来不思議な存在なのだ。無数のものも、場所も全く重要ではないのだ。我々が向かう先は明らかだ。我々は大地から生まれ大地に帰るのだ。様々な集まりの席で、我々は(ネシェト)師とともにあった。彼の感性は、アナトリアの声となり、我々にも違いを与えた。そして私はそのサズが鳴りやんだ後も響き続け、その音を届けていくことを望んでいる。それを我々は大変必要としている。(ネシェトの)ご家族や国民にお悔やみを申し上げる。ここに集まった人々によって、一つの真実が明らかになった。(彼が)愛するものも(彼がいた)場所もとても高潔なものとなるのだ。」

■遺言の通りに

クルシェヒル市墓地局の関係者からの情報によると、ギュナイ大臣はクルシェヒルを訪問した時に、ネシェト・エルタシュの息子であるヒュセイン・エルタシュと一緒にネシェトのバーバシュ墓地にある墓を視察した。ギュナイ大臣は、墓の場所がネシェト・エルタシュの父親であるムハレッム・エルタシュの墓地から遠いので、遺言通りに近くに再び墓を作り直すことを望んだ。墓地局は、もとの墓を埋め、ムハッレム・エルタシュの墓のすぐ近くに新たにネシェトの墓をたてた。

■弔問のために市民が押し寄せた

ネシェト・エルタシュの父親の家の隣に設けられた弔問のためのテントに、市民が押し寄せた。
バーバシュ地区にあるネシェト・エルタシュの父親の家が建つ通り沿いに、弔問のためのテントが設けられた。テントには市民が押し寄せ、人々が愛するネシェト・エルタシュの民謡が流れていた。

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( 翻訳者:榎本有紗 )
( 記事ID:27706 )