最後の「アブダル」ネシェト・エルタシュの死を悼む
2012年09月26日付 Radikal 紙


内陸アナトリアの草原の撥として知られる「吟遊詩人」の巨匠ネシェト・エルタシュが昨日イズミルで亡くなり、彼の故郷クルシェヒルは大きな悲しみに包まれた。エルタシュの生家があるバーバシュラル地区の住民もまた、トルコ全体と同じく、巨匠の死に涙を流している。特にネシェト・ エルタシュの親族が住んでいるバーバシュラル地域の家の前に溢れた人々の唯一の話題はネシェト・エルタシュだ。皆がネシェト・エルタシュにまつわる思い出 を話している…。哀愁漂う大勢の人の話し声を、自治体がスピーカーで流しているネシェト・エルタシュの民謡が遮っている。

巨匠は今日、遺言通り、クルシェヒルで行われる式典の後、バーバシュラル墓地にある父親の墓の中に埋葬される。エルタシュの近親者は、彼が父親を師匠として認めていたため、これが彼の最大の望みであったのだと強調している。

バイオリニストのガリプ・ヒュセインのニックネームで知られているネシェト・エルタシュの甥ヒュセイン・チャクジュは、「非常に正直者でした。皆の手を取り、力になりました。彼のおかげで、多くのクルシェヒル出身者が職に就くことができました」と述べた。チャクジュはネシェト・エルタシュのジェムエヴィ (アレヴィー派の礼拝所)で式典が行われるかどうかについて議論が始まったことに触れ、次のように伝えた。

ネシェト・エルタシュはその生涯において、差別に反対でした。ある歌の中で『差別よ、なくなれ』とまで言っています。アレヴィーであるにも関わらず、イスラム教徒らしく生きています。ネシェト・エルタシュは差別をしなかった、私たちもまたそうなのです。」

ネシェト・エルタシュの伯父の息子イルファン・エルタシュはというと、先週エルタシュのお見舞いに病院を訪れる機会があったとし、次のように付け加えた。

「医師は様々な治療法を提案しました。しかし彼はこれらを受け入れませんでした。私はこうやってやってきた、同じように逝こうと言いました。さらには私た ちが病院にいるとき、エルドアン首相から電話がありました。息子のヒュセインと娘のドネ・エルタシュと話しました。治療のため米国へ連れて行くのなら、 自分の飛行機を手配すると仰いました。しかしネシェト・エルタシュは米国へ行こうとはしませんでした。」    

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( 翻訳者:釘田遼香 )
( 記事ID:27709 )