Aslı Aydıntaşbaşコラム:AKP党大会―完璧な運営、しかし驚きはなし
2012年10月01日付 Milliyet 紙

私はいつも党大会に失望してきた。ここ数日「2023ビジョン」と朝から晩まで騒がれてきた公正発展党の党大会も大きな例外とはならなかった。

誤解しないでください。運営や段取り、規律などは完璧だった。党大会で顧問や大臣たちが夫婦で来ていたことには好感が持てた。マスード・バルザーニーやムハンマド・ムルスィーといった中東からの参加者も時代の精神に合っていると思う。

しかしおそらくここ数日流れたメディアの風潮のせいだろう、期待は非常に高まっていた。まるで共和国の今後の新たなページが開かれるかのような雰囲気があった。しかし正直私は特別新しいビジョンを見出すことはできなかった。党大会の後、誰かが私を道で引き止め、「公正発展党の2023年ビジョンとは何だ」と聞けば、「私たちは正しい道を進んでおり、これからも進み続ける」もしくは「タイイプ・エルドアンが首相ではなく大統領になること」と言っただろう。

エルドアン首相には非常に優秀なスピーチライターたちがいる。彼らは公正発展党が歴史や地域において取ってきた位置づけを非常にうまく説明した。しかし何 が新しいのか。火曜日のグループ会談で聞かなかった言葉はなかった。私は首相の演説を非常に注意して聞いてきた。聞けなかったとしても必ず読んできた。そ してこれまでエルドアン首相の勇気ある、歴史的な演説を聞いたことも確かにある。しかし今回は2時間半の演説を無難で、時にポピュリズム的な、サプライズのない、余りに「型にはまった」ものだと感じた。

新たなオスロの興奮を期待していた人たちは間違っていた。首相はクルド問題で新たな発言をしなかった。クルドの人々にPKK(クルド労働者党: 非合法)が非常に悪 いものであると語り、ある意味「PKKに対して反対の声を強めてください」と呼びかけた。数日間「イムラル島(オジャラン)と共にやり直せる」といった ニュースを読み、昨日もヒュッリイェト紙で「このようなことはオジャランにしか解決できない」という趣旨の見出しを見ると、私はより踏み込んだ発言を期待 してしまった。しかしそれはなかった。

楽観的になろうと思えば、クルド問題において「今日を私たち全員にとっての節目としましょう。さあいらっしゃい、問題を共に解決しましょう。今日が私たち 全員にとっての新たな始まりとなりますように」という言葉で満足することもできる。もしくはその後の発言で何度も出てきたさりげない「自己批判」という言 葉に…(「皆で一緒に自己批判をし、そしてまた一緒に未来を形作りましょう。」)

もしかしたら国家の中枢でイムラル島と始まった新たな間接的なプロセスにおいてこの2つのキーワードを含む発言がなされることだけで十分かもしれないが、それは誰にも分からない。しかしクルド問題の解決のためには十分ではない事はわかっている。

不思議なことに、エルドアン首相の演説の後ロビーで公正発展党員たちがメディアに配った「署名のないワードのドキュメントによる」63条の包括的改革案がある。中には「母語での公共サービス」「母語での自己弁護」といった条項がある。共和人民党(CHP)の党大会ではないのだから、これは「無許可の文書」では ないだろう。首相府が用意したことは明らかだ。しかし理由は何であれ首相は演説でこのことに触れなかった。エルドアン首相の演説における民族主義的、宗教的な発言は当然のことながら一部の解説者には過剰ととられた。彼は帝国のビジョンを描いた。(ダマスカスから、ラッカから、トリポリやカイロへの呼びかけ;セルジューク朝やオスマン朝のスルタンたちへの言及など)セルジューク朝の王アルプアルスランとその軍にも何度も言及した。理由は分からない。私たちが(クルド)問題解決を期待するなか、首相はなぜトルコ民族主義の強調を必要と感じたのだろうか。実際には私たちのうち何人が馬に乗ってアナトリアを征服したオグズ族の カユ部族の子孫なのだろうか。しかし理由は何であれ、もはや次の狙いは1071年マラズギルト戦勝から1000周年、つまり2071年である。私はおそら くそれを見ることはできない;しかし皆さんは反対側に2027年ビジョンを描くのでしょう。

■新たなMKYK(中央決定執行委員会)

この党大会で本当に重要なのはエルドアンの演説ではなく、公正発展党の新たな指導者層のエリートが明かしたMKYKのリストである。エルドアンは自らが退いた後の公正発展党を設計し終えているのだ。しかしその設計は昔とそれほど変わらない。基本は一緒である:中道右派から保守層に渡る広範な連合の代表たち。そもそもなぜ変えようと言うのだろうか?次々と選挙に勝利し大統領となることが期待される強力なリーダーがいるのだ。現行のシステムをそのまま維持したいようだ…。

■党大会にいなかった人たち

1. アブドゥッラー・ギュル大統領:名前が出なかった。エジプトのムルスィーが彼に言及するまで…
2. ヨーロッパ連合:良い響きとして私たちの記憶に残った。
3. メディア:首相はメディアを批判しなかった。
4. 反政府メディア:しかしソズジュ紙やジュムフリイェト紙を含め反政府的な新聞は党大会に受け入れられなかった。
5. キョフテ屋:共和人民党の党大会のように外でキョフテサンドを売る屋台は見られなかった。
6. オスロ:政府に近い新聞の「新たな問題解決」の約束は、少なくともエルドアン首相の演説にはなかった。

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:27740 )