フェネルバフチェ、アレックスとの契約解消
2012年10月01日付 Radikal紙


フェネルバフチェを戦力外となったアレックス選手は、夕刻、ツイッター上で「契約を解消した。人生で最も辛い(解消の)サインとなった。フェネルバフチェは選手を一人失ったが、サポーターを一人獲得した。すべてに感謝したい」とつぶやいた。クラブ側もアレックス選手の契約解消を発表した。

アレックス(本名:アレクサンドロ・デ・ソウザ) 選手は、105年の歴史を誇るフェネルバフチェ史上最高の外国人プレーヤーとして讃えられ、数々の記録を樹立し、チームに成功をもたらしてきたことで、その名をクラブ史に刻んできた。彼の功績を讃え、銅像が建てられたが、9シーズン目にしてクラブを離れることとなった。

2004年、(アレックスの)バルセロナ、バレンシア、エスパニョール、セビリア、アーセナル、ヘルタ・ベルリンへの移籍が取り沙汰される中、フェネルバフチェ副会長(当時)のハカン・ビラル・クトゥルアルプ氏は、ブラジルへ飛びアレックス選手の移籍を実現させた。移籍後9シーズン目にして、アイクト・コジャマン監督より無期限の戦力外通告を受けた。これを受け、アズィズ・ユルドゥルム会長等経営陣と話し合いの場を持ち、アレックス選手は双方合意の上、契約を解消した。

■クラブ本部でユルドゥルム会長と話し合いを行い、感傷的なツイート

アレックス選手は、トレーニング施設を離れ、通訳のサメト・ギュゼル氏とフェネルバフチェのユルドゥルム会長とクラブ本部で会談した。

会談後、アレックス選手はツイッター上でフェネルバフチェとの契約解消について次のようにコメントした:「契約を解消した。人生で最も辛いサインとなった。クラブは選手を一人失ったが、サポーターを一人獲得した。全てにありがとう。」

■情報公開プラットフォームへの通知

フェネルバフチェは、アレックス・デ・ソウザ選手との契約を合意の上で解消したことを情報公開プラットファームへ通知した。
内容は下記の通り:
「アレクサンドロ・デ・ソウザ選手と本日会談を行い、本人に対してこれまでのチームに対する貢献に感謝し、契約を双方合意の上、本日付で解消することとなった。」

■コジャマン監督とアレックス選手の間の軋轢…

フェネルバフチェは、欧州チャンピオンズリーグ・プレイオフのスパルタク・モスクワとの第1戦で敗戦し、トルコスーパーリーグ第2節のガジアンテップスポル戦で18人がベンチ外となった。こうした今シーズンの幕開けで、アイクト・コジャマン監督とアレックス選手との間の軋轢は、アレックス選手がツイッター上でコジャマン監督に対して「一言で表現するならば妬んでいる」とつぶやいたことでさらに高まってしまった。ヨーロッパリーグのマルセイユ戦では67分に自身が交代で退いた後、2ゴールを決められ引き分けに甘んじたことが、サポーターの怒りを買い初めてスタンドから「コジャマン辞めろ!」の声が挙がった。国内リーグ直近のカスムパシャ戦でも、 アレックス選手が後半に交代でベンチに下がった後0-2で敗北、サポーターはコジャマン監督に加えアズィズ・ユルドゥルム会長を批判した。この敗戦後、監督は辞任を受け入れたとみられていたが、ユルドゥルム会長の指示で試合後の記者会見に姿を現さず、コジャマン監督はクビを逃れた。そして、同監督は、チームのために抜本的な決定を行う。本日、練習前のチームミーティングでアレックス選手を戦力外とする決定が伝えられ、ミロスラフ・ストッフ選手とクリスティアン・バローニ選手へは罰金を科すことが伝えられた。

■アレックス選手の契約解消

戦略外となったアレックス選手は、一連の経緯の後クラブ本部に向かい、アズィズ・ユルドゥルム会長ら経営陣と話し合いを行った。同選手は、自身のツイッターアカウントで「契約を解消した。人生で最も辛いサインだ。クラブは選手を一人失ったが、サポーターを一人獲得した。全てにありがとう」とコメントした。クラブ側も下記の通り情報公開プラットフォーム上で発表を行った:「アレクサンドロ・デ・ソウザ選手と本日話し合いを行い、同選手の本日までのチームに対する貢献に感謝を述べ、契約を双方合意の元、本日付で解消した。」

■サポーターは強く反発

フェネルバフチェサポーターは、アレックス選手への戦力外通知及び契約解消後、ソーシャルメディアを通じ、アズィズ・ユルドゥルム会長やアイクト・コジャマン監督に強い反発を示した。サポーターは、クラブのレジェンドであり、銅像も建てられた同選手が戦力外となることは受け入れ難いと述べ、コジャマン監督や経営陣の辞任を求めた。

■アレックス選手はクラブ記録を塗り替えた

35歳のアレックス選手は、移籍直後から今日までフェネルバフチェサポーターの寵愛を受け、クラブの記録を塗り替えてきた。移籍初年度に24ゴールを上げ、フェネルバフチェを国内リーグでの優勝に導いた。3シーズン目に19ゴールでリーグ得点王となり、クラブ史上初の国内リーグ外国人得点王となる。4シーズン目には、クラブ史上初のチャンピオンズリーグ準々決勝進出に貢献、6アシストで大会のアシスト王になる。6シーズン目には、欧州カップにおけるクラブ最多出場、最多得点者となる。7シーズン目には、国内リーグで28得点を挙げ、移籍後2度目の得点王に輝いている。通算9シーズンで340試合に出場、170得点を記録した。クラブ史上外国人として最多出場を達成し、リーグ通算100得点を達成した唯一の外国人となった。キャプテンを務め、クラブのリーグ通算3000点目を決め、レジェンドとなったアレックス選手の数々の功績は次の通り:

■コリチーバFCでキャリアを始める

1995年、アレックス選手は、ブラジルのコリチーバFCでプロとしてのキャリアを始める。97年にはパルメイラスへ移籍し、スター選手に成長した。1999年には初めてブラジル代表となり、同代表はこの年、コパ・アメリカで優勝した。2000年フラメンゴへレンタルとなったが期待に応えられず、本人の語るキャリア最悪の時期を過ごした。2001年に再度パルメイラスへ戻り、同年クルゼイロへレンタル移籍。当時のクルゼイロ監督のマルコ・アウレリオと上手くいかず再度パルメイロへ戻り、2002年セリエA名門のパルマへ移籍する。初めての欧州で、人見知りが原因でなじめず、ここでも成功出来ずに終わる。たった5試合に出ただけでその年クルゼイロへ移籍となった。ここで大活躍し、2004年コパ・アメリカのブラジル代表に呼ばれた。

■1シーズン目―フェネルバフチェに移籍した2004年

欧州の多数のクラブより関心を寄せられていたアレックス選手は、2004年にフェネルバフチェでのキャリアを始めた。アレックス選手はブラジル代表の一員として2004年コパ・アメリカを制した後、フェネルバフチェへの移籍を決断し、移籍初年度に同クラブの選手として国内リーグを制覇した。31試合に出場し、24ゴールを決め、優勝に大きく貢献した。欧州の舞台では、チャンピオンズリーグで全試合に出場し、グループリーグを勝ち点9の第3位で終え、UEFAカップに回った。しかしながら、レアル・サラゴサ(スペイン)に3回戦で敗北した。移籍初年度、国内リーグ、トルコカップ、UEFAカップで計26ゴールを挙げた。

■2シーズン目―20ゴール

2005-06シーズンも、アレックス選手は素晴らしい活躍を見せた。スーパーリーグでは31試合に出場、15ゴールを挙げた。優勝は勝ち点83を収めたガラタサライに譲ったものの、フェネルバフチェは81点で2位に終わる。チャンピオンズリーグでは、勝ち点4の最下位でグループリーグ敗退となったが、4 試合に出場し、3ゴールを挙げた。この年、国内リーグ、トルコカップ、チャンピオンズリーグで計20ゴールを挙げた。

■3シーズン目―得点王に輝く

クラブ創立100年となる2006-07シーズンも、アレックス選手は安定した働きを見せた。スーパーリーグでは32試合に出場、19ゴールを挙げ得点王に輝き、優勝の原動力となった。チャンピオンズリーグでは、予選2回戦となるB36トールシャウン(フェロー諸島)戦でホーム4-0、アウェー5-0の勝利を 収めたものの、予選3回戦のディナモ・キエフ(ウクライナ)戦で敗退した。アレックス選手は、4試合に出場したものの得点を挙げることが出来なかった。フェネルバフチェはUEFAカップ(現、ヨーロッパリーグ)に回ることになり、グループリーグを3位で通過したものの、決勝トーナメント「ラウンド32」でAZ アルクマールに破れ、欧州の舞台に別れを告げた。このシーズン、欧州の舞台で目立った活躍を見せていないと一部から批判を浴びた(UEFAカップ6試合出場で1得点)。3シーズン目に計20ゴールを挙げ、フェネルバフチェ史上初となる外国人得点王の栄誉に輝いた。

■4シーズン目-欧州での歴史的快挙

クラブ加入当初からサポーターの寵愛を受けていたアレックス選手であるが、2007-08シーズン、クラブへ歴史的快挙をもたらす。同シーズンよりキャプテンマークを付けることとなり、国内リーグでは28試合に出場、14得点を挙げた。国内リーグでは2位に甘んじることとなったが、欧州の舞台では輝かしい戦績を残した。チャンピオンズリーグ・グループリーグを勝ち点11の2位で突破すると、決勝トーナメント1回戦ではセビージャ(スペイン)を撃破、クラブ史上初となる準々決勝へと駒を進めた。準々決勝のチェルシー(イングランド)戦は、ホーム2-1、アウェー0-2との結果により敗退した。アレックス選手はチャンピオンズリーグで12試合に出場、4得点・6アシストとチーム躍進に大きく貢献し、同大会のアシスト王に輝く。
さらに、トルコスーパーカップでは決勝でベシクタシュを2-1で下し優勝した。4シーズン目に計18ゴールを挙げ、セミフ・センチュルク選手に得点王こそ譲ったものの、アシスト王に輝く。

■5シーズン目―17得点を挙げる

2008-09シーズン、国内リーグでは26試合に出場、11ゴールを挙げる。チームにとっては不運なシーズンとなり、勝ち点61で4位の結果となった。欧州の舞台でも同様で、チャンピオンズリーグ・グループリーグでは勝ち点2の最下位に沈む。アレックス選手自身は、9試合に出場、2ゴールを挙げた。
このシーズン、唯一の救いがトルコカップで決勝進出を果たしたことだ。しかし、決勝でベシクタシュに2-4で敗退した。アレックスは、5試合に出場し4ゴールを挙げている。
加入5年目のシーズンは、計17ゴールという結果に終わった。

■6シーズン目―クラブの歴史を塗り替える

2009-10シーズン、アレックス選手は欧州カップ戦における最多試合出場・最多得点のクラブ記録を塗り替えた。
チームは国内リーグで2位となり、アレックスは26試合に出場、11ゴールを挙げた。欧州の舞台では、ヨーロッパリーグのグループステージを勝ち点15で 首位通過し、決勝トーナメント「ラウンド32」でリール(フランス)に敗退した。アレックスは6試合に出場、2得点を挙げたことにより、欧州カップ戦における最多試合出場・最多得点のクラブ記録を塗り替えた。トルコカップでは、決勝のトラブゾンスポル戦でアレックスが1ゴール決めたものの、1-3で敗れた。
しかし、トルコスーパーカップでは決勝のベシクタシュ戦で、アレックスが2ゴールを挙げ優勝を遂げた。同シーズンを計20ゴールで終えた。

■7シーズン目―28ゴールで得点王に

2010-11シーズン、クラブ史上最高の外国人選手としてアレックス選手の銅像制作が決定された。ただ、八百長疑惑の調査により状況が緊迫していたことで延期された。チームは国内リーグで優勝を飾り、アレックス選手は33試合に出場、28ゴールを挙げ2度目の得点王となった。また、12アシストを記録しアシスト王にも輝いている。
欧州の舞台では、チャンピオンズリーグ・予選3回戦のヤングボーイズ(スイス)戦で敗退し、
ヨーロッパリーグ・プレイオフでもPAOKテッサロニキ(ギリシャ)に破れ、早々に欧州へ別れを告げた。アレックス選手は、チャンピオンズリーグ及びヨーロッパリーグでそれぞれ2試合ずつ出場したが、得点を挙げることが出来なかった。
7年目シーズンにして、クラブ史上最多の外国人出場記録を塗り替えた。外国人としても初めてクラブ通算100ゴールを達成した。フェネルバフチェの国内リーグ通算3000ゴール目を決め、2011年2月にクラブとの契約を2年間延長した。

■8シーズン目-29年ぶりの戴冠!

2011-12年のシーズン、36試合に出場し、17ゴールを記録した。キャプテンのアレックス選手は、決勝でブルサスポルを撃破、トルコカップを制した。実に、29年振りのことである。

■9シーズン目-像が建てられ、契約解消

2012年9月16日、フェネルバフチェのサポーターは、ヨールトジュ公園のレフテル・キュチュクアンドンヤデス選手像の傍にアレックス像を建立した。銅像の除幕式には、アレックスを戦力外とするアイクト・コジャマン監督も参加したが、アレクッスは同監督にも感謝の意を述べた。この日から丁度2週間後、コジャマン監督は、アレックス選手を戦力外とする決定を行った。この決定を受け、アズィズ・ユルドュルム会長等経営陣とアレックスは話し合いの場をもち、双方合 意の上での契約解消を行った。
フェネルバフチェでのキャップ数は340、得点数は170、今シーズンは10試合に出場し2ゴールを挙げていた。

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(翻訳者:山根卓朗)
(記事ID:27748)