Akif Bekiコラム:エルドアン最後の党大会、「別れ」を演出
2012年10月02日付 Radikal 紙

終始、「別れの大会」という雰囲気であった。エルドアン首相が別れの挨拶をした時に、私はとりわけ注意深く周囲を見渡した。公正発展党(AKP)員の中には堪えきれず涙を流す者もいた。我々は首相の入場直前、18分間の「エルドアンと同志達」というドキュメントを鑑賞し、今日までの道のりを少しずつ振り返っていた。見るとアブドゥッラー・ギュル大統領は別格として扱われているようだった。これまでにエルドアン首相と共に行ってきた活動が何度も映し出された。ギュル大統領だけだろうか?いや違う。難局で舟を離れていった元同志も忘れられてはいなかった。アブドゥッラティフ・シェネル氏さえも登場した。

私は次のことも見逃さなかった。首相は、ムスタファ・ケマルとメンデレス、オザルと並べて、初めて故エルバカン元首相をもその志を継ぐべき先駆者の一人に数えたのだ。

その演説ではありとあらゆる全てのことについて触れられた。開会の挨拶だけで、トルコ全土はおろか、全世界のあらゆることに言及されたほどであった。

すべてを包み込むような演説であったが、これは予想されていたものとは少し違った。これまでの演説の雰囲気と、今回のそれとは違うものだった。しかし、親しげな温かさは期待通りのものであり、温かみのある演説だった。

エルドアン首相のいないAKPは新しいAKPだ。首相は昨日最後の党大会に参加し、早々に退出した。

ただ、昨日が新AKPの始まりだと言えるかと問われれば、確かなことは何も言えない。

昨日形づくられたAKPを、エルドアン首相なしで想像するのは困難だからである。

また、次のことも確実だ。タイイプ・エルドアン首相は党を思い残すことなく次代に譲り渡すことを望んでいる。

昨日の党大会は、エルドアン首相の影響が大きく残る中で行われた。そのためエルドアン首相のいないAKPがどうなるかを見いだすのは容易ではない。先の述べた通り、党大会は盛大であったが驚くようなことは何もなく、党の中央決定執行委員会(YMYK)のリストでさえ、驚くものはなかった。

リストには誰にでも思い浮かぶような、誰もが想像するような名前しかなく、また古参の党員以外の名前もあった。

一番期待されていのは、(問題への)あたらしい表現だった。講演は感情が込められており、所々具体的かつ詳細な部分がなかったとはいえないが、新しいといえるものではなかった。クルド問題において、例えばエルドアン首相は2005年に開いた白いページを、今回は再び一緒に開き、一緒に書き込んで行くことを提案した。

しかし、演説を、「新しいこと」としては取るに足らないと判じた人も、講演の補足として作成された「2023年へのヴィジョン」と題された文書には、探していたものを見つけた。「基本構造」と題された文書にはそれこそ驚かされる計画やこれからの目標、そして詳細で具体的な解決法が載せられていた。エルドアン首相は、AKPを未来に導いていく人材と見通しの形成を焦ることはない。なんにせよ、まだあと2年もあるのだから。修正を加えながら近いうちに新しい中央執行委員会(MYK)役員を選出し、すぐに内閣で制限つきの改革に入るだろう。

MKYKリストを眺めてみると、次のことは容易に言える。すなわち、党執行部であるMYKにも内閣にも、包括的な改革などは一切ないのだ。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:百合野愛 )
( 記事ID:27750 )