砲弾被害の国境の町アクチャカレ、その歴史は7000年!
2012年10月04日付 Milliyet 紙


シリアの砲撃により、国境の町アクチャカレで5人の市民の命が奪われたことで、「なぜ国境付近に町が築かれたのか?」という疑問が浮かび上がった。アクチャカレは約7000年もの歴史がある町である。ここでアクチャカレの歴史をたどってみよう。

 アクチャカレは、シャンルウルファにある古都の一つである。その歴史は紀元前5000年にさかのぼる。紀元前2750年までは、シュメール及びヒッタイトの領 域であり、その後、セム族による侵略を受けた。612年にはアッシリアの支配下に入った。550年には、ペルシャ及びアレクサンダー大帝国の統治下となっ た。

 紀元後750年には、アクチャカレ一帯の地域がアラブに属した。1070年のマラズギルトの戦いの後、アクチャカレ一帯がトルコ系政権に属した。

 アクチャカレの現在の国境は、ローザンヌ協定によって定められ、シリアの国境付近に位置することとなった。

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( 翻訳者:櫻川知子 )
( 記事ID:27778 )