オジャランの逃避行(1999)援助のギリシャ武器商、インドネシアで謎の死
2012年10月11日付 Hurriyet 紙

テロ組織のリーダー、アブドゥッラー・オジャランのロシアからアテネへの逃避行(1999年)を援助していたことで知られるギリシャ武器商人のブラシス・カムブロールが、インドネシアの首都ジャカルタのホテルの一室で死亡しているのが見つかった。

カムブロールの死により、ロシアがギリシャへTOR-1タイプのミサイルを売った時の5000万ユーロの賄賂スキャンダルに関わり、謎の死をとげた人の数は3人となった。
以前このスキャンダルに名前が挙がったロシア人、イゴール・クリモフは赤の広場で、同僚で近しい間柄だったセルゲイ・シトゥコもモスクワに近い村で死亡している。
死因を調査するため61歳のカムブロールの遺体が解剖されたが、暴行の後がなかったことから自殺の可能性、もしくは心臓発作で亡くなったと考えられている。ホテルの部屋で心疾患や糖尿病の薬も見つかった。

カムブロールは、国防大臣であった頃に何千万ユーロもの賄賂を受けた容疑でピレのコリダロス刑務所で服役しているアキス・ツォチャトゾプロスの親友だった。ギリシャの諜報機関とも関係があったことがわかっている。

■オジャランのアテネへの逃避行に加担

オジャランが確保される前、ケニアのギリシャ大使館にいた時、特別保護を受けていたギリシャの元スパイ、サヴァス・カレンデリディス氏は著書『オジャラン引き渡し…真実の時』でカムブロールに何度か言及している。
この本には「ロゼリン(オジャランの秘書であり恋人のアイフェル・カヤ)が、命の危険に晒されていたオジャランをアテナへ逃すために組織(PKK)の同志カムブロールに電話した。そして、カムブロールの助言でヨルゴ・マヴロス(オジャランへ偽装パスポートを用意したキプロス出身のギリシャ人)と接触した」と書かれている。
また、オジャランのアテネ到着後の出来事を説明する中で、「スタヴラカキス(当時のギリシャ諜報機関長官)が私にルーマニアから電話をかけてきた。彼はカムブロールに電話するよう私に言った。私が電話すると、出たのはおそらく彼の娘だった。彼女はカムブロールが家におらず、どこにいるかも知らないと言った。おそらく何かを隠そうとしていたのだ。私は彼の携帯番号を聞き出し、番号をスダヴラカキスへ伝えた。知る限りではカムブロールは、オジャランがギリシャへ入国するやいなや(1999年1月29日)アメリカへ行った。その理由は詳しく調べなかった」と記している。

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( 翻訳者:榎本有紗 )
( 記事ID:27843 )