Hasan Cemal コラム:ギュレン師 vs. エルドアン首相・・・
2012年10月16日付 Milliyet 紙

フェトフッラー・ギュレン氏は、プライド、クルド問題、シリア、イスラエルというような問題において、エルドアン首相についてどう考えているのだろうか?

イェニ・シャファク紙で先週ユスフ・カプラン氏の記事(10月12日)を読んだ。興味深かった。

その記事は、アメリカのペンシルバニアで、記者グループとともに行ったフェトフッラー・ギュレン氏への訪問から受けた印象を伝えていた。そこからわかるのは、ギュレン氏は、あまり多くのことが書かれないよう注意して話したということだ。きっと、タイイプ・エルドアンと今日の政治に関する見解を行間に反映させようと努力していたのだろう。

その可能性はある。たとえば、プライドの問題に言及した。しかしその際に誰かについて触れたわけではない。だが、氏の下記のような発言を聞くと、否応なく、タイイプ・エルドアンと関わるのかそうでないのかという疑問が浮かんでくる。

ユスフ・カプランの記事より:「そしてひとつひとつ話し始める。まず最初に口にした言葉は、『ムスリムが話し合いや協議によって解決できない問題はひとつもない。ムスリムが話し合いを失うときは、世界の終わりだ』といった感じである。そのあと、プライドについて、プライドが人々をどれほど深い谷底の入り口へ引きずり込むのかという話をしているのである。」

氏は、プライドの問題のあと、話題を「クルド問題」に持っていった。慎重に言葉を選んで話した。しかし再びエルドアン政権に対し批判的な雰囲気を言葉の中に醸し出した。

次のように言った:「5年前私たちは政府に対しクルドの問題について、地域住民と結束し、苦しみを共有し、人々の心をつかむ提案をした。この提案が慎重に扱われていたら、この問題は、アッラーがご存知のように、このようなところまで来ることはなかっただろう。」

次のように続けた:「時代は、壊してバラバラにし、燃やして破壊する時ではない。メヴラーナ、ユヌス、イェセヴィといった人物たちのように心をつかむ時代である。敵意や憎悪をかき立てたり、招いたりする時代ではない。問題をあおり立てるべきではない。問題や人々に対しては、愛情、優しさ、奉仕の心、そして熱意をもって接しなければならない」と言っている。

氏の言葉はとても明瞭である。過去に自身の提案が政権に認められなかったこと、クルド問題に関する首相の現行の政策は正しくないということを細心の姿勢で明らかにすることを避けていない。

フェトフッラー・ギュレン氏は、果たして、トルコから来た記者グループとともに公正発展党政権のシリア政治やイスラエルに関連することを取り上げているのだろうか?分からない。しかしその逆を考えることもできない。

私が受けた印象は、氏がこの二つの件で批判的な姿勢をとったというものだ。マーヴィ・マルマラ号事件のあとイスラエルに対しトルコがより冷静な態度をとることが正しいと明らかにし、エルドアン首相はというとまったく別の方向へとシフトした、というものだ。

シリアの問題はというと、私の印象では、氏は、トルコの今日のシリア政策とは距離を取っている。当初、効果的であった対シリア政策が、現在ではトルコとともに地域を災いに巻き込む可能性があると考えているといえるかもしれない。

アリ・ブラチ氏は3日間ザマン紙のコラムにシリアでの過ちといった内容の3つの記事を書いた。興味深く拝見した。

同氏は、その記事の中で政府が信じがたい過ちを犯したと指摘し、「武力による闘争」が間違っていると述べた後、次のように続けた:「個人を対象にした外交はうまくいかない。イスラエルについては『ネタニヤフはどうせ去るさ!』シリアでは『アサドはどうせ去るさ!』これは賢明とはいえない。」(10月15日ザマン紙より)

ブラチ氏はエルドアンを批判している。この言葉は、ギュレン氏の感情を反映させているものなのだろうか?分からない。しかしフェトフッラー・ギュレン 氏が、ユスフ・カプラン氏とアリ・ブラチ氏の記事の内容に対し、プライドの問題を含め、ひどく反対するとは考えられない。

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( 翻訳者:大門志織 )
( 記事ID:27903 )