バトマン出身ヤズィード派欧州移民、トルコへの帰還を求める
2012年11月02日付 Radikal 紙


バトマン県のベシリー郡クシュチュクル村から、1980年にヨーロッパ各国へ移住したヤズィード派が、村の状況が改善されたことから帰還を求めると発表した。

ヨーロッパ在住のヤズィード派のあるグループが村を訪れ、バトマンのGAPホテルで記者会見を行った。会見でヤズィード派を代表して話したネディム・エルキシュさんは、1980年に軍事襲撃を受け、その後も続いた当局からの圧力のためにヨーロッパ各国に移住せざるを得なくなったと語った。

ベシリー郡におよそ1万人いたヤズィード派だが、住民の移住後は500人以下にまで減ってしまったという。エルキシュさんは、トルコがEUに加盟するために行った改革が自分たちに希望を与え、帰還を目指すようになったと述べた。
そして、改革の過程の中で「素晴らしい」進展を見ることができたとして、次のように話した:
「メフメト・シムシェキ財務大臣やユルマズ・アルスラン・バトマン県知事、アイシェ・チャーラル・ベシリー郡知事が、初めて私たちに見舞いの言葉をかけてくれたことは私たちを勇気づけました。私は30年以上の間、ドイツで生活しています。村での前向きな発展を鑑みて、私たちの村へ帰るという決断をしました。1992年に、村の有力者たちに委託する形で村での財産を譲りました。彼らは、私たちが戻った時には、協力的に財産を返すことを約束し、これまでも間断なく連絡を取っていました。さらには、移住地で亡くなった人全員、遺体を村へ送り、村の墓地に埋葬してきました。しかし、今私たちは帰還に際し、妨害にあっています。これらの妨害は、私たちにショックを与えただけでなく、私たちの伝統や慣習にも反するものです。」

エルキシュさんは土地や家を委ねた有力者たちが、自分たちの帰還を妨害しようとしていると主張し、不動産証明書が手元にある家々を取り戻すべく法的手続きを始めたことを明らかにした。

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( 翻訳者:丸山 礼 )
( 記事ID:28100 )