民族主義者行動党でバフチェリ党首、再選
2012年11月05日付 Milliyet紙


民主主義者行動党(MHP)定期党大会において、15年間党首を務めるバフチェリ氏が一巡目の投票で1214人の代表投票者から725票を集め、党首となった。バフチェリ氏の最大のライバルであったアイドゥン氏は441票、デルヴィシュオール氏は48票を獲得した。対抗勢力の得た票の割合は、「党本部の運営に関する不安や党内部の対抗勢力が強まっている」との見方をもたらした。

民主主義者行動党(MHP)の第10回定期党大会においてMHP党首にデヴレト・バフチェリ現党首が6回目の当選をはたした。3人の立候補者が争った選挙で、バフチェリ党首は1214人の代表投票者のうちの725票を得て党首の座を守った。大会でバフチェリ党首の最も有力なライバルであるコライ・アイドゥン氏が441票、ムサヴァアト・デルヴィシュオール氏が48票を獲得した。2003年にはバフチェリ党首に対し137人の代表投票者から票を得たアイドゥン氏が、今回441人の代表投票者から支持を得たこと、デルヴィシュオール氏の得た48票を合わせてバフチェリ党首に対する対抗票が500票に近づいたことにより、MHPで党内の対抗勢力が初めてこれほどにまで大きくなったことが明らかになった。

■父祖の党

MHP第 10回定期党大会は昨日アンカラアリーナ・スポーツサロンで熱烈で激しい空気の中行われた。党大会運営委員長に選ばれたトゥールル・チュルケシュMHP副党首は「慈悲深きアッラーの御名において」の言葉とともに大会を始めた。

■たった3人の立候補者が出た

会場への入場時にアナウンスがされなかったコライ・アイドゥン氏をはじめとするMHP党主候補者たちは、アナウンスをされた後、会場で党員に挨拶をするバフチェリ氏や党本部党大会運営委員とともに席に着いた。バフチェリ氏が座った後アイドゥン氏とほかの候補者候補たちはバフチェリ氏のもとに行き握手をした。候補者争いに最初7人が名乗りを上げ、昨日は内規にもとづき最低40の代表投票者からの署名を得られた3人の立候補者が党首の座をめぐって戦った。バフチェリ氏の他には予想されていたようにコライ・アイドゥン氏とムサヴァアト・デルヴィシュオール氏が争った。アフメト・チャカル氏、イスマーイール・ハック・キュプチュ氏、メスート・デエル氏は40人の代表投票者からの署名を集められなかったため立候補できなかった。MHP第19期カイセリ県選出国会議員のセイフィ・シャーヒン氏は立候補しなかった。

■バフチェリ氏が当選

先の決定に基づき、党首選投票と中央執行委員会(MYK)委員選出投票は別々に行われた。投票中関心が集まる中、開票時になるとバフチェリ氏とアイドゥン氏のサイドから向かい合ってスローガンが掲げられた。党首選投票には1240人の代表投票者の内1220人が参加した。6票の無効票のあった大会でバフチェリ氏は有効票である 1214票のうち725票を得て党首に選ばれた。コライ・アイドゥン氏に441票、デルビショール氏に48票が投じられた。

■対抗勢力が力をつけてきた

2003年の大会の際、コライ・アイドゥン氏はバフチェリ氏に対し137票を獲得していた。今回、アイドゥン氏の票が441票に達し、デルヴィシュオール氏も48票を得たことは「党本部の運営に関する不安や党内部の対抗勢力が強まっている」という評価につながった。密かに臨時党大会を招集できるほどの力をつけていたアイドゥン氏は、将来的にその力を行使する可能性があると言われている。

■6回候補者になった

デヴレト・バフチェリMHP党首は第10回定期党大会において、6度目の党首の座を守った。アルパルスラン・チュルケシ氏の死後、1997年7月6日に行われた臨時党大会では、アルパルスラン・チュルケシ氏の息子トゥールル・チュルケシ氏とデヴレト・バフチェリ氏が党首選に立候補し、バフチェリ氏が勝利した。2000、2003、2006、2009年において行われた大会でも党首に選ばれたバフチェリ氏のライバルとして、2003年にコライ・アイドゥン氏が現れた。2006、2009年の大会においてはバフチェリ氏に対し対抗馬は出なかった。この大会においてバフチェリ氏はアイドゥン氏とデルヴィシュオール氏を破った。

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(翻訳者:酒井 舜)
(記事ID:28149)