タクスィム広場工事、まずは地中の「タクスィム・スタジアム」に到達
2012年11月13日付 Zaman 紙


タクスィムの歩行者計画のため実施された作業で、かつてのタクスィム・スタジアム跡に到達した。

10月30日にタクスィム歩行者化プロジェクトのため開始された広場での工事により、数カ所で数十メートルの深さまで到達した。ゲズィ公園周辺での作業ではかつてのタクスィム・スタジアム跡に到達した。スタジアムの壁と格子部分は慎重に作業が行われた。担当者は、この跡はタクスィム・スタジアムのものであると話した。

タクスィム・スタジアムは、現在のタクスィム公園の場所に1921年から1939年まで所在したタクスィム兵舎の中庭に作られた、イスタンブル初のスタジアムであるということで知られる。オスマン帝国時代には長年第一砲兵隊が駐屯していた。(連合諸国による)イスタンブル占領の間にまずセネガル人兵士がここに滞在していたが、その後ロシア移民が馬のレースを開催する場所となった。

サッカーへの関心が高まり、この兵舎の向かい側にある練兵場で行われた試合が多くの観衆を集めたことが、当時スポーツ雑誌を出版していたチェレビザーデ・サイード・テヴフィキ氏に、タクスィム兵舎の中庭にスタジアムを建設することを促した。1921年にオープンしたスタジアムは、他のトルコのクラブの経営者が行ったボイコットによりサイード氏の手には長くとどまらなかった。サイード氏はスタジアムをボルクという名のマルタ島の実業家に渡すはめになってしまった。トルコのチームがイングランドとフランスの占領軍チームと行った試合は、特に大きな関心を集めた。

1923年10月26日にサッカートルコ代表は、このスタジアムで初試合をルーマニアを相手に行った。1923年から1936年の間にトルコ代表は(ここで)9試合のホームゲームを行った。次第にサッカー以外にレスリングや陸上、自転車レースも開催された。1939年に当時のイスタンブル知事リュトゥフィ・ クルダル氏がタクスィム広場の改修を開始して、この兵舎が壊され、代わりにタクスィム公園が建設された。タクスィム・スタジアムは2つの木造の観客席に約8000人収容できるものであった。

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( 翻訳者:大門志織 )
( 記事ID:28228 )