Ismet Berkanコラム:PKK系囚人ハンガーストライキの残した教訓
2012年11月20日付 Milliyet 紙

様々な刑務所にいるPKK(クルド労働者党; 非合法)とクルディスタン社会連合の700人に近い受刑者、又逮捕者が70日間近くハンガーストライキを続け、それが、土曜日、アブドゥッラー・オジャランの「止めなさい」という言葉で終息した。

クルド問題の全てではないが、PKK、トルコとPKKとの闘い、この組織を考察する方法の行方に影響を及ぼす可能性を含むこのストライキを少し詳しく見る価値があるだろう。

最初の問い:ストライキはどうして実行されたのか?

ストライキを起こした人たちが口にした、3つの主な要求があった。その一つはアブドゥッラー・オジャラン・オジャランに対する隔離を終わらせることであった。しかし、オジャラン氏は完全に隔離されてはおらず、家族とも時々面会している。弁護士とは面会していなかったが、こうさせたのもオジャラン氏自身であった。今から1年半程前、オジャランは政府とPKKの両者に「あなた方は私を利用している」と怒り、弁護士と面会したくないという内容の文書を刑務所の監督者に渡していた。またオジャランは自身が設立し、党首となったPKKに対して激怒さえしていた。

当初、組織はこの状況をそれ程重要とは考えなかった。しかし時間が経ち、オジャランが忘れられたことがこの組織に影響を与えた。ハンガーストライキはただ政府に対する要求のために起きたのではない。組織はオジャランとの繋がりと彼についての要求をストライキという方法で発信したことになる。

最終的に、状況は実際最初と同じ地点にあるといえる。政府は未だにオジャラン氏の弁護士と面会したがっていない。しかし、当初「この重荷は担えないだろう」と言われていたオジャランの弟である、メフメト・オジャランが、組織と兄の間で仕方なく仲介人になっている状況がある。

オジャランが、PKKの日々の戦略の中でまたしても重要な位置に来たことは非常に重要である。もし、また「PKKの非武装化のために議論する」というような政府の決定が出れば、もうオスロに行く必要はない、イムラル島に停泊中の船を見つけることでこと足りるだろう。

一方で、オジャランの指導力には議論の余地がある。組織の中でいまや「我々はこの件を自分たちの方法で進める」という風潮がある。通常オジャラン氏はこの種の風潮の中心となった者を即座に排除する人だが、それを遠くから実行できないだろうから、PKKはいまや公式に二つの派を持つ組織と考える必要がある。前々から二派に分かれている状況は続いていたが、いまや隠せない程現実的な状況になっている。

最後の点として、政府が、ストライキの期間、とった流れに関して。

一般世論はこのストライキにそれ程関心をよせなかったと言えるが、レジェプ・タイイプ・エルドアン首相が、まさにオジャラン氏を狙って死刑の議論を始めたことで、この件が国内政策の一つの問題として見られることになった。

ここから分かることは、オジャラン氏はエルドアン首相のメッセージを比較的明確に、また良い形で受け取り、自分の存在の重要性を利用してストライキを終わらす呼びかけを行った。

しかし、一つ弱点も見せた。それはオジャラン氏が自分の命に関することになると、拙速に行動するのではなく、よく計算し、また合意により前向きになっているということである。

これもまた、将来ありえる議論の形に非常に大きな影響を与えるだろう。

■クルド問題の解決に展望をもたなければ議論は無意味

ハンガーストライキを終息させたことで広がったよい雰囲気のおかげで、多くの人が「ほら、議論の新しい良い機会じゃないか」と言いだすのは、よくわかっている。

全くそれには賛成しない。前にも書いたが、もう一度言おう、問題は「クルド問題」であって、「PKK問題」や「テロ」はこの問題の派生物にすぎない。

「クルド問題」をどう解決するかという問題で展望をもつことが必要だ。この展望と、これを基に描かれた行動計画がなければ、PKKと議論の席についても無 意味なことだ。PKKとの議論にはただ一つの目的がなくてはならない。それは、組織がまずデモを行わないようになること、次に武器を置くこと、最後に武器を捨て、非武装化すること。これに対応して組織に2、3の約束をすることが出来る。1つ目は、彼らが武装して主張していることをそれなしに政治的手法で訴える可能性。2つ目は全般的な恩赦。三つ目はオジャラン氏の状況の改善である。

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( 翻訳者:清川智美 )
( 記事ID:28300 )