Hasan Cemal コラム:エルドアンの態度は演技か、本気か?
2012年11月28日付 Milliyet 紙

ヨーロッパのある大使が質問した。「エルドアン首相は民主主義を本当にトルコに浸透させた政治家か、それとも違うのだろうか。彼の態度や発言が変わったのは2014年に控えた選挙のためなのだろうか。つまり、票を多く集めるための戦略的方策なのだろうか。それともそうではなく本気なのだろうか。」

我々はEU主要国のアンカラ駐在大使の一人と昨日会談した。
彼はエルドアン首相と民主主義をテーマにし、私にある疑問をぶつけた。
「近頃我々が気にしており、議論している疑問がある。エルドアン首相は民主主義を本当にトルコへ浸透させた政治家なのだろうか、それとも違うのだろうか。」
そして以下のように続けた。

「彼は2014年の選挙のために態度や発言を変えたのか。つまり、票をより集めるための戦略的方策なのか。それとも本気なのだろうか」
さらに、「つまり我々は2014年を待てばよいのでしょうか。選挙で望む票を獲得した後、民主主義路線が良い方向へ向かうと楽観視していれば良いのか。それとも今から期待しない方が良いのでしょうか」と加えた。
大使が外交的な物言いで暗に言いたかったのは、「エルドアン首相は民主主義を利用して欧州連合へ背を向け、既に他の地域へ向け舵を切っているのか。これが彼の考えなのか。それとも過激な国家主義者的発言や次第に強くなる権威主義的手法は、保守的な右派であるMHPよりもさらに多くの票を獲得するための戦略なのだろうか」ということだ。
これに関連して、その日起こったばかりの「『華麗なる世紀』論」について我々は話した。死刑制度復活議論についても話した。
さらに以前エルドアン首相がスペインを訪問中、数名のBDP国会議員の不可侵特権が剥奪されたという「吉報」について話した。
CHP、つまり野党と権力や説得力について話した。
エルドアン首相の第一任期の時の民主主義政策の理由を話した。
大使はこの間、出版や言論の自由、特に投獄されている新聞記者を話題にあげた。この問題がトルコの民主主義と法の優位性という点からの重要性を指摘した。
エルドアン政権がこの問題に関してどう対処し、「新改革法案」はこの観点から何を定めるのか、EU諸国が注視していると述べた。

そして以下の事も付け足した。
「しかしながら親愛なるエルドアン首相は、私が考えるに、トルコで出版や放送の自由があると信じており、この件に関して異論があるとは思ってもいないようだ。」

大使のこの発言を書いている時、セダト・エルギン氏の昨日のコラムが私の頭に浮かんだ。セダト・エルギン氏と、欧州人権裁判所(略称AİHM)に勤めるトルコ人裁判官ウシュル・カラカシュ教授と会談だ。そのコラムで、裁判官は簡潔に言うと以下のように述べていた。
「トルコには、欧州人権法の第10条に準じた出版の自由というものを阻害する多くの法律や判決がある。この人権法で、トルコが常に違反トップを保ち続けているのが、言論の自由だ。今日のトルコにおける言論の自由への違反は、統計から見ても非常に深刻である。」(2012年4月27日Hürriyet紙18面より)

その通り、非常に悪い統計が出ている。
出版の自由についての統計データは深刻である。
刑務所に拘束される新聞記者は多すぎる。
言論の自由に関する統計と、この事例の一つである「『華麗なる世紀』論」は深刻である。
死刑制度議論は深刻だ。
1990年代におけるDEP(BDPの前身の政党)への措置を彷彿とさせる、国会議員の不可侵権剥奪という展開も深刻だ。
省庁制度に関する執着も深刻だ。
これ以上書かないようにしよう。
最後に再び大使の疑問に戻ろう。
これら全て戦術的な演技なのか、本気なのか。
あなたはどう考えますか。

■エルドアン首相へ『狼の谷』の疑問!

これを書き終えようとしたとき、ある友人からメッセージが来た。エルドアン首相へのこのような質問だった。
「『狼の谷』について何を考えているのだろうか。そこでのトルコ人男性のイメージ、人種差別的発言、ムスリムの民族主義的戯言、中東の兄貴、マフィア国家というのが、今日のトルコの姿だというのだろうか、このシリーズは。違う、これは本当のことではないと言うなら、首相は『狼の谷』についても検察へ訴えるのだろうか。」

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( 翻訳者:榎本有紗 )
( 記事ID:28384 )