豪邸を夢み実現し、でも鍵を開ける人はなく・・―欧州出稼ぎの悲哀
2012年12月07日付 Zaman 紙


1960年代初頭、トルコのあらゆる場所で暮らしていた人々が、より豊かな暮らしを求めヨーロッパの国々へ移住した。みなの目的は、故郷に家を持てるくらい稼ぐことであった。

年月を経て、彼らはヨーロッパでの生活に慣れていった。しかし、故郷に家を持つという夢は決してあきらめなかった。さらには豪邸を建てるまでお金をためた者さえいた。しかし、出稼ぎ労働者が「いつか故郷に戻るという夢をもって」建てた豪邸のドアは何年も開けられていない。

ヨーロッパに出稼ぎ労働者を送りだした地域の一つに、コンヤのクル郡がある。今日スウェーデンにいる3万人を含め、4万人のクル出身者がヨーロッパの国々で暮らしている。故郷へ戻るという夢をもつ出稼ぎ労働者たちは、80年代以降、クルに豪邸を競うように建て始めた。このようにして、豪邸の数は数千に達している。4-5年に一度クルにやってくる出稼ぎ労働者たちは、休暇中、豪邸の修繕をして過ごしている。長期間使用されなかった邸宅の修繕に追いつかなくなった労働者らは、建物の一部を無料で貸出し、建物の管理をしてもらうのを希望している。こうした状況を悪用した少数の借家人は、邸宅所有者に電気・水道料金の支払いを押し付けている。一部の邸宅は崩れ落ち捨て去られたような状態である。これらの邸宅について書かれた、「愛が失われた家」という名の本がある。

スウェーデンで暮らしている57歳のアスル・スヴァリ氏は、クルに3階建ての家を持っている。1階をただで貸し、2階には家財だけおいて使っていない。3人の子供がいるアスル夫人は、子供たちが休暇で、クルに行きたくないと言っていると愚痴をこぼす。自分たちが亡くなった後、子供たちが家を売るか、もしくは家が朽ちていくと考えている。クルのアルプアスラン地区の村長、アディル・ギョリュリュ氏は自身が知っているある邸宅のドアが20年間開けられずにいると述べ、出稼ぎの若者がクルの良さを知らないために、帰って来ないと述べた。不動産屋のジャフェル・イズギ氏は、これらの邸宅に出稼ぎ労働者によって非常に高額のお金が使われたと語る。「今やこの邸宅を買うものもいなければ売るものもいない。もしこの村の人々がヨーロッパではなく、アンカラ、イスタンブルに行っていたらよかったのに・・と思う。」

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( 翻訳者:甲斐さゆみ )
( 記事ID:28481 )