トルコの外交政策とシリアのアルメニア人
2012年12月16日付 Zaman 紙

アルメニア問題は今日トルコで議論が最も難しく、物議を醸す、タブーとされるテーマのうちの一つだ。この問題は今やシリアにまで波及する。

シリアのアルメニア人全員をアサド派政権の支持者とみてはいけないということに留意すると同時に、アサド後に実現の可能性が非常に高いスンナ派中心の国家体制を、シリアに住むアルメニア人たちが不安に思っていることは明らかだ。アレッポは、約2年近く続くアサド側と反体制派の戦闘がおそらく起こったことがなかった数少ない居住地区のひとつであったが、最後には戦闘の運命に陥った。アレッポ市の歴史的な人口構造を考慮すると、ここに暮らすアルメニア人人口があらゆる意味において定着した、記すに値する集団であることを見落としてはいけない。ご存知の通り、戦闘はアルメニア人居住地区にまで飛び火した。反体制派の支配下となった地域に体制側の軍が入ったのを我々は目撃した。この居住地区にはアルメニア人だけでなく、重要な歴史的建造物もあったという事を述べておこう。

1915年の災禍の後、当時オスマン帝国を当時統治していた政治的指導者たちによってシリアに強制移住させられ、少ないもののここで生き残ることができたアルメニア人たちは、シリアのキリスト教人口の8~10%である。シリアで起こっている内戦に関してアルメニア人たちが最も心配していることは安全だ。アルメニ ア人社会は先の見えない将来に対して不安を抱き続けることで憔悴している。このような安全に対する不安の根本に、アルメニア人社会が大規模な残虐行為を受けた1915年の一連の事件があることを強調する必要がある。アルメニア人にとってアサド政権は多数派であるスンナ派に対して安全にそこに住むための安全弁の役割を担っていた。

しかし内戦後の進展で、シリアにおいて反体制派勢力がアサド側に対し優勢になったことが、アルメニア人たちもアサド政権に対する それまでの態度を変えることにつながっている。国内の他のマイノリティー同様にアルメニア人たちも安全な環境が崩れることで被害をこうむるという 不安を抱えていたため、地域で日に日に暴力事件の数が増えているにもかかわらず、アサド政権に対して中立的な態度を取っていると言える。多くのシリアのアルメニア人は、この複雑な構図の中で彼らが置かれている立場を顧みることなく、シリアの利益に外国政府が十分に考慮しないと考え、外からの干渉の可能性に対して懐疑的な態度を見せている。特にトルコの反体制派への支持はシリアの多くのアルメニア人の不安を増した要因である。

多くのシリア国民がトルコで教育を受け、シリ アの反体制派に参加するため国に戻ったことや、彼らの一部がシリア当局に逮捕されたことに関する噂はこの地域で最も真剣に議論される問題となっている。アルメニア人たちの最大の恐怖はアサド政権の崩壊後、更なる独裁政権が誕生することである。シリア国民議会や自由シリア軍が繰り返しキリスト教徒に対し憎悪にかられて行動しているのではないと示したとしても、この反体制派ブロックが全て同じではないことを強調しておこう。我が政府は対シリア政策を定める際に、このような反体制派が乱立する構造を考慮する必要があると考える。

ここで重要な点がもう一つある。アサド政権がアルメニア人を筆頭に他のキリスト教徒のグループを操る結果だ。アサド政権は明らかにマイノリティーが反体制派を恐れることを望んでいる。この点で反体制派もアサドにすっかり手を貸してしまっていることを指摘しなければならない。特に自由シリア軍に属する反体制派グループの一部は戦闘の数を増やそうとしており、この状況はまずアルメニア人 にとって大きな不安と恐怖の元である。アレッポで起こっている動きはこの最大の表れだ。

まさにこの点でトルコに大きな任務がある。アサドのように自らの国民を虐殺し、その際に関係するあらゆる国家機関をこのために利用する独裁者に異議を唱えることは、公正・公平で良心的国家が取るべき態度である。政府がアサドに対して強く反対してきた背景には、少なくとも言葉だけであってもこのような要因がある。今日のバアス党政権は、特にアラブの春の後に中東で起こった進展と「新秩序」の枠組みを考慮すると、(今現在)正当性が一切残っておらず、今後継続が不可能であることが、同時に生じている。この意味でトルコが長期的にシリアの宗教・宗派・民族構造という非常に複雑な構造を考慮し、いかなる民族・宗教グループをも特別扱いすることなく、この構造に合った民主的システム構築のため、積極的な役割を担う必要がある。この政策を実現するためには政治的に信頼でき、誠意を持つことが条件である。トルコはシリアのアルメニア人たちの信頼を勝ち取るため、1915年に関する全ての事件について勇気を持って議論を始め、向き合うことが必要である。

当然ここでキリスト教徒のグループにも重要な務めがある。溺れる者は藁をもつかむというような安全に対する不安によってのみアサド政権の虐殺や拷問を傍観することは、これらのグループの安全を最も脅かすものである。なぜならこのような体制が同じ暴力をキリスト教徒たちに対して適用しないという保証はどこにもないからだ。政治の道具として暴力を自らの国民にも使い、これにより力を強化しようとしている体制にとって、この暴力の対象はいかなる宗教、言語、宗派のグループでもありえるのだ。このためキリスト教徒のグループがアサドの独裁に迷わず立ち向かうことが不可欠である。他のグループも、最終的には崩壊する、法的正当性が一切なくなったこの政権と一体化するリスクに直面するだろう。まさにこの状況がこれらのグループの安全に対する脅威となるのだ。

最新の分析によるとシリア情勢は、私たちの外交が危機の入口にいることを表している。この点で今後も継続していくことに意味がない、外交政策における作戦分野を制限することになる諸問題を、トルコはなんとか解決しなければならない。アルメニアとアルメニア人たちに関する問題はこれらの問題の中心にある。この問題から脱出し、アルメニア人もトルコ人も満足させる和解を成立させることがトルコ政府を本当に強化するだろう。国際関係において基本原則は国家の利益を最大化することである。しかしアルメニア問題で一時でもこの原則を前面に押し出す代わりに、より人道的な方法から始めて、アルメニア人たちに対し良心の上で借りがあることを思い起こさせる必要がある。

(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介
されています。)

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:28582 )