ウルデレ事件34人死亡から1年、BDP主催の追悼集会
2012年12月29日付 Milliyet 紙


空爆の結果34人が死亡したウルデレで今日、追悼集会が開かれる。何千人もの人々がギュルヤズ村に集まった。平和民主党(BDP)のセラ ハッティン・デミルタシュ党首も追悼集会に出席し、レジェプ・タイイプ・エルドアン首相は犠牲者に対し責任があるとし、「首相はこれをボドゥルムとフェトヒエでできませんでした。クルディスタンは存在しないといって我々に対してこのような圧政を行うのでしょうか?それならば、クルド人がすべきことがあります。自治であろうと連邦制であろうと独立であろうと、クルド人はこの不足を補わなければなりません」と語った。BDP議員も出席した追悼集会でのクルド語の葬送歌はクシャナク氏の涙を誘った。

ウルデレのギュルヤズ村で行なわれた追悼集会には全BDPスタッフが出席した。集会には、BDPのセラハッティン・デミルタシュ党首、ギュルタン・クシャナク副党首、マルディン県選出で無所属の議員や民主主義社会会議(DTK)のアフメト・チュルク議長も含めたBDP と無所属の国会議員ら、ディヤルバクル広域市のオスマン・バイデミル市長、芸術家のスアヴィ氏とフェルハト・トゥンチ氏、ゲンジャイ・ギュルソイ教授をはじめ、約 5,000人が参加した。

■国会議員たちは被害者の母親達と共に涙を流した

ギュルヤズ村を訪れた人々はシュナルクに入る時に厳重なセキュリティ・チェックを受けた。事件で亡くなった人々の近親者たちは追悼集会に参加した国会議員や他の関係者らと対面した。その際、被害者の遺族と、ギュルタン・クシャナク氏も含めた国会議員たちは涙を流した。追悼集会が行なわれた体育館の壁には亡くなった34 人の写真がかけられた。

(中略)

■エルトゥールル・キュルクチュ議員:我々は彼らと共にいる

平和民主党 (BDP)のエルトゥールル・キュルクチュ議員は国民民主会議を代表して、ウルデレの人々の悲しみを止めることは一人一人の務めであると話した。キュルクチュ議員は、「我々はトルコ人としてトルコでの民主主義闘争をクルド人の背に負わせていました。トルコ西部においても、もはや圧政と虐殺に対して立ち上がるべきであり、立ち上がることになるでしょう。クルド人は決して一人で歩みを進めるのではありません。我々が彼らと共にあります」と話した。

■フェルハト・トゥンチ氏:どのような謝罪もこの悲嘆を止めることはできない

フェルハト・トゥンチ氏は、「デルスィムの協会と芸術家」を代表し、「デルスィムの37年と38年の悲劇は終わっていなかった。ロボスキ村の虐殺は、我々にすればデルスィムの現代版です。デルスィムについて謝罪する者たちはロボスキ村で虐殺を行なってはなりませんでした。どのような謝罪もこの悲嘆を止めるには不十分です」と語った。

■クシャナク議員、涙を流す

フェルハト・トゥンチ氏は追悼のスピーチの後、葬送歌を歌った。トゥンチ氏が葬送歌を歌う際、子供を亡くした女性たちと、ギュルタン・クシャナク氏を含む数人の国会議員らが涙をを流している様子が見受けられた。

■ メヴリット詩が読まれ墓にはカーネーションが供えられた

演説に続き、天蓋で覆われた絨毯の上で亡くなった34人のためにメヴリット詩が読まれた後、金曜礼拝が行なわれた。祈りの後、追悼集会に参加した人々は34人の墓をお参りするために列をなして行進した。

墓地で家族を代表して話したフェルハト・エンジュ氏は、「我々はこの大虐殺を行なった者たちに責任を問う程、強い気持ちです。我々は再度ロボスキの人々がこのような経験をしないようにと闘っています。これを行なった者たちは絶対にこの責任を取ることになるでしょう。我々をテロリストとみなす者たちは自分自身がテロリストなのです」と語った。

BDP(平和民主党)副党首でスィイルト県選出国会議員であるギュルタン・クシャナク氏は演説を行ない、「今日、ここで虐殺を受けたクルド人が抵抗しています。闘いにより事件の責任を追及しています。辛い一年でした。我々は34人の魂を忘れず、悲しみを分かち合っています。我々は責任を追及しており、追及し続けます。34人が殺されただけではありませんでした。毎日、行なわれたことの発表で我々の心が傷ついています。この訴えはクルド人の、何百万人もの人々の、人間の訴えです。責任を問い続けます」と話した。

ヴァン県で無所属国会議員に選出された民主社会会議(DTK)副議長のアイセル・トゥールク議員は、亡くなった34人が貧困を強いられたために1日に10−15 リラ(約489円−733円)を稼ぐためにこの仕事をしていたと話した。トゥールク議員は、「我々は歴史の中で多くの虐殺を目にしました。我々の苦しみのどれを説明したらよいでしょうか。この事件は良心を荒廃させました。再び帰属の感情に弄ばれました。この虐殺の責任はとられなければなりません。政府がこの事件の後に行なった発表によって辛さが増しました。これらは我々に対する侮辱であり、これを受け入れることはできません。虐殺を闇に葬り去ろうとする者たちこそ、この事件の首謀者なのです」と話した。
演説の後、亡くなった34人の墓にカーネーションが手向けられた。その際、遺族たちは目を涙で一杯にしていた。
参加者は、犠牲者の墓を訪れた後、ギュルヤズ村に戻り、そこで準備されていた亡くなった人々の写真の展示を見て回った。

■ハッキャーリでは小売業者がシャツターを開けなかった

シュルナク県ウルデレ郡オルタス村で34人が亡くなった事件の1周忌のために、ハッキャーリ市、チュクルジャ郡、ユクセクオヴァ郡、シェムディンリ郡では、小売業者は抗議のために店のシャッターを開けなかった。
薬局とパン屋だけが開店したハッキャーリ市と諸郡では警察が広域警備対策をとった。警備対策を強化した警察は、通りに人々が集まらないように絶えずパトロールを行なっている。

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( 翻訳者:富田祐子 )
( 記事ID:28725 )