Abbas Güreşコラム:こうなることは始めからわかっていた!-支離滅裂な教育政策
2013年01月06日付 Milliyet 紙

教育に関し、このように突然決定が下されたら、行き届いた対応など不可能だ。
国民教育省のオメル・ディンチェル大臣はたぶんこのせいで、もっとも議論しなければならない大臣のうちの一人となってしまった・・・。
4+4+4制と同様に既成事実化した決定の中の一つに服装の自由がある。
服装の自由についての規則の変更はまったく議論されることなく行われた。来年と言われて、すぐに始まった。公立学校において(服装の自由を)望んでいるか、いないかという選択肢は提示されなかった。なぜなら、政府は何でも知っていて、何でも行う自由を有しているという法則を働かせたからだ。
しかし、同じ「強行」は私立学校には行われず、私立学校はこの状況を保護者や生徒たちに問いかけた。結果、名門私立学校のほとんどすべてが服装の自由の適用を望まなかった。そして制服での教育を継続せよと言っている。
世界有数の学校でもこの状況は変わらない。
さて、それでは制服継続を決めた学校の保護者たちは、お金がなかったのだろうか?子供たちがより自由になることに反対したのだろうか?
さらに切実で、保護者たちは教育的にどちらが正しく、どちらが間違っているかがわからなかったのだろうか?
どうやらこの問題については今後も議論が続くだろう・・・
しかし、この問題が起こるのも、教育制度が改正された最初の日に私たちは言及していたではないか。なぜなら、教育とは規律の問題だからである。そしてこれは、ある場合はスモック、ある場合は制服、またある場合は校章となる。実際、(これらがなければ)他のものと区別できなくなるだろう・・・。
今度、ある通達が出され、それらが義務的な服装の自由の範疇に含まれたとしても、まったく驚かないでいただきたい。結局のところ、私たちは民主国家の国民ですから、ルールを乱す人々は好まないのだ・・・!

■4+4+4=133

昨日の新聞記事の見出しやニュース速報で、シャンルウルファ県スィヴェレキ郡チュクルク村小学校の1年生の児童たちの様子はご覧になっただろう。
一つの教室で133人の児童に対して授業をしようとしているのだ。一つの机に2人、3人はともかく5人も座らせようとしている。さて、このような教室で服装の自由があるからと言って何になるのだろう、何も変わりはしないだろう!
たった一人の教師、互いに場所と役割を得ようと頑張る子供たち、そしてキラキラと輝く瞳。この子供たちが、もっとましな環境で教育を受けたら、彼らはどうなるかなんて、誰にもわからない。しかし、この子供たちの中の3人や、5人は、もしかしたら少しの運の助けで標準的な教育を身に着けさせることができるかもしれない、他の大半の子供たちはというと・・・?良い教育と将来を得ることはすべての人の権利だ。しかしこのような状態では、良い将来なんて手放しなさい。健康的な身体の育成すら不可能なのだから。
さて、国民教育省はこの写真を見て何を行ったとあなたは思いますか?

■良心が痛んだ?

誰の心が痛もうが、同じような状況の何百の、もしかしたら何千もの学校がある。
しかし、国民教育省がこの状況を改善する代わりに、突然二人の調査員を派遣してどうしてこんな写真を撮らせたのかと調査を始めたとしてもまったく不思議ではない。

■まさにこのせいで!

私たちは、高校や大学の教員たちの次のような苦情をよく耳にする。初等教育、あるいは高校を終えた若者たちが、まだトルコ語をしゃべれない、一番簡単な算数計算さえ知らないと・・・。

■では、誰の罪なのか?

133人の教室でたった一人の教師と、いまにも折り重なりそうになりながら授業を受けようとする子供たちか?それとも子供3人では足りない、5人生みなさいと言っている人々か?
さらに重要なことには、「教育で時代を先取りした」と自慢しながら教育を服装の自由程度のレベルに貶めた人々か?
教育は今このような状態だが、昨日はまた違うものだったのだろうか?
断じて違うでしょう。
よりずっと劣悪だった。
投資や資金は増えたが、トルコの急激な人口増加には追い付いていない。

■それでは、何をすることが必要か?

まずはじめに、教育を単なる国の問題と思わないことが必要だ。私たち全員の協力が不可欠だ。
すべてにお金を払っている保護者たちは、問題が教育となると、国がやればいい、国が学ばせろと言う。
しかし、結局犠牲になるのは自分自身の子供に他ならない。

■新しい調整が必須!

トルコの小学校児童数でさえギリシャの人口より多い。トルコの合計生徒数はヨーロッパの7、8か国を上回る。こうした状況で、教育制度における新たな調整が行われなければならない。国だけではこの重荷を背負うことはできない。自治体や特別行政体は資金を持て余している。少なくとも学校の校舎を彼らに肩代わりさせることはできるだろう。何人かの大臣が行ったように、また学校づくりのキャンペーンを実施することもできるだろう。あるいは、将来の150人教室に備えようではないか。

要約の要約:じゃあ、あの子供たちのうちの一人が自分の子どもだったら?

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( 翻訳者:佐藤悠香 )
( 記事ID:28797 )