Can Dündarコラム:最初の試験は合格、次は…―ディヤルバクル葬儀
2013年01月18日付 Milliyet 紙

昨日のディヤルバクルの追悼集会は次のことを証明した。組織が集団を統制するなら、国家が治安維持部隊をしっかりと制御するなら、最大規模のデモでさえも問題を起こすことなく終息出来るのだと。
政府は慎重にしかし断固としてふるまった。
平和民主党(BDP)は集団に注意勧告を促していた。
警察(ディヤルバクルのオスマン・バイデミル市長によれば、最近三年間で初めての集会であるという)は過度な関与をしなかった。
そしてそのお陰で、10万人規模の集会で最も些細な事件すら起きなかった。

■ 慎重なる希望

その広場を埋めた人々についていうなら、
人々は旗も振らずプラカードも掲げなかった。
群衆はあらゆる種類の挑発や煽動を控えた。
殺害された女性達の近親者達でさえ話すときに恨みを表さなかった。「この血(だけ)で十分だ」と語った。
人々は失った者達のために泣き、殺人犯達をやじった。
平和について言及されるなら、いつでも拍手をした。
彼らは過去に2度平和が訪れた時のことに思いをはせ、その度に誤解だったことに、そして再び銃声で目を覚めさせられたことに疲れ果てた。
痛みによって大人になり、最後の平和の希望にこだわっていたのだ。
しかし、今回人々は慎重だった。

そのためハブル門でのような混乱もなかった。興奮さえも。
人々は白い襟巻を首にかけ、その上に黒い服をまとった。これは両面感情の状態を表す二つの相反するシンボルであった。
人々は黒から白へと向かうグレーの中にいた。

■ 今度何が起こるのか?

結論から言えば、政府も平和民主党(BDP)も難関の試験に合格した。
しかし、これは最初の試験なのだ。終わってなどいない。
さらに多くの段階で試験があり、試験は続いて行くのだ…。
皆の質問が、「今度は何が起こるのか?」ということに焦点があてられている。
BDPの期待は、出来るだけ早く法務省がBDPの共同党首らとイムラル島(オジャランを指す)の面会許可を与えること、和平プロセスのためのロードマップがつくられること、そして交渉に入ること、である。
政府の期待は、PKK(クルディスタン労働者党、非合法組織)が非暴力を決定し、国外に撤退することだ。
しかし、今回皆はより現実主義的だ。これが長い茨の道であることを皆が知っているからだ。
それが必要とする穏健さと忍耐をもってふるまっているのだ。

■ 返答が待たれる数々の問い

追悼集会の後、アフメト・チュルク、スッル・サクク、そしてアイセル・トゥールクと我々は面会した。議論に上がった問いは次の通りである。
-政府は新しい融和策を進める一方で、なぜカンディルを爆撃しているのか?
-PKKは何故非暴力(休戦)の呼びかけにもかかわらず、警備所を襲撃して警官に発砲するのか?
-双方ともに、思い通りにできないような(支配力の及ばないような)組織を有しているのか?もしかしたら第一のネックとなるリスクのある力の誇示をしているのはこれらなのか?
-オジャランが「フランスで暗殺を行った者達は、国家諜報局(MİT)の事務次官を捕まえようとしている者達と同じだ」と述べたが、これはどういう意味なのか?
-アメリカはこのプロセスのどこに位置するのか?またいかなる態度をとるのか?
そしてついに、双方ともに自身内部のタカ派の動向に不安感を募らせている。
すなわち、政府を批判する者達は、「テロ組織との交渉の席に着いた」とのプロパガンダを行う一方で、クルドの急進派達も「これだけ多くの血が、わずかこれだけの(和平プロセス進展の)獲得のために流されたというのか」とこのプロセスを批判している。
政府の意に反してカンディル爆撃が行われたと信じる者達がいるように、マルディンでの警察官襲撃もオジャランの指図に反して、行われたと考える者達もいる。
一体、カンディル(或いは軍)は、自身が含まれなかったプロセスへの参加を望まれたなら、「私にも尋ねるのか?」と言って知っている事柄を告げるだろうか?
これらのことがこれからのプロセスの難問なのだ。
そしてこれらを乗り越えるために、双方が交渉のチャンネルを可能な限り開くこと、休戦のために真剣な努力をはらうこと、そして手の中にある最大の切り札である社会の支持を常に得つづけることが条件だ。

■ 治安チームが出動

これがなされないなら、このプロセスを断ち切ろうとするものが、どこか片隅で手をこまねいて待っているということを忘れないようにしよう、そしてこのコラムを別の見方を示しつつ締めくくろう。
追悼集会の後、私は空港に向かうつもりだった。
アフメト・チュルクは親切にも公用車を私に手配してくれて、彼の運転手とともに私は空港に向かった。集会の広場の外側で待機し、武装強化された警察機動隊ぬって我々は車を走らせた。バーラルで、ようやく10歳になったと思われる1人の子供が我々の行く手を遮った。その子の顔は覆面で覆われ、その手には大きな石が握られていた。
彼は車の前で止まり「バックしろ」と合図した。
彼の後ろには彼と同じくらいの年齢の数十人の子供が手に石を持って身構えていた。すべての車を取り囲んでいた。我々の前にいた「ミグロス刑務所」路線の小型バス(ディヤルバクル特有の名称)が引き返していった。
チュルク氏の運転手が車から降りて子供達と話し始めた。
子供達は「クルディスタン社会連合(KCK)の治安チーム」であると言った。「この道は1時間半程封鎖する」とも言った。長い交渉の結果、子供達はこの車の所有者(チュルク氏)への配慮から道を開けてくれ、我々は通過することが出来た。

■ 明日の対話者達

おそらくエルドアン首相も、オジャランも、軍も、PKKも、KCKも、カンディルも、アンカラも、イムラル島も、きちんと理解すべき現実は次のようなことだ。
つまり、このチャンスを活かせられなければ、和平を実現できなければ、10年後の「対話者」はこの子供達になるということだ。
そしておそらく子供達も今日の「対話者」を強く求めるだろう。
殉職者達の葬儀で積もり積もった憎悪、上記の幼い子供達が覆面の間から見せた両目の中に私が見た彼らの怒り、これらを静めることができる最後のチャンスがこれなのだ…。
我ら皆が和平の糸口を手放さないようにしなければならない。
しっかりと握って。

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( 翻訳者:濱田裕樹 )
( 記事ID:28941 )