火災のガラタサライ大は、旧フェリエ宮―アブドゥルアズィズはここで殺された?
2013年01月23日付 Radikal紙


昨晩の火事で使用不可能となってしまった、旧フェリエ宮。歴史家のタルハ・ウールルエル氏によると、スルタン・アブドゥルアズィズはこの建物で殺されたという。
 
歴史家のタルハ・ウールルエル氏は、昨晩起こった火災により使用不可となってしまったガラタサライ大学キャンパス内にある歴史建造物が、オスマン時代にフェリエ宮の一部であったとして、「スルタン・アブドゥルアズィズは、フェリエ宮として知られていたその建物で殺された」と述べた。
ウールルエル氏はガラタサライ大学の建物について、昨日灰と化した建物もあった4ブロックが、オスマン時代にフェリエ宮と呼ばれていたと説明した。

「オスマン朝の君主はトプカプ宮殿に400年間暮らし、1856年以降は、チュラーン宮殿で政治が執られるようになります。そこが手狭になったため、チュラーン宮殿とオルタキョイ・モスクの間に『隣の宮』という意味のファリイェ宮を建設されました。今日焼失した建物と左手にある黄色の2つの建物、その隣の小さな木造建築物、それからその木造建築物のオルタキョイ・モスクに面したところにある建物。フェリエ宮はこれら4つの建物から構成され、オスマン帝国期の終わりまで使われていたのです。」

■チュラーン宮殿では死んだのではない

ウールルエル氏は、フェリエ宮は痛ましい場所でもあるとして、「スルタン・アブドゥルアズィズはフェリエ宮として知られる、昨晩の火事で使用できなくなった建物で殺された」と述べた。

ウールルエル氏は、現在知られているのに反して、アブドゥルアズィズはチュラーン宮殿で亡くなったのではなく、自殺と見せかけてフェリエ宮で殺されたのだという。

「スルタン・アブドゥルアズィズが殺された場所はこの宮殿です。フェリエ宮で殺されたのです。スルタン・アブドゥルアズィズはチュラーン宮殿で殺されたと思われていますが、チュラーン宮殿ではありません。この痛ましい出来事は、今回焼失した建物で起こったのです。スルタン・アブドゥルアズィズはフェリエ宮で、当時の大宰相ミドハト・パシャと当時の参謀総長ヒュセイン・アヴニー・パシャによって手首を切られ、殺されました。

事件はこうです。1876年の或る晩、ドルマバフチェ宮殿が船で囲まれ、クーデターが起こりました。退位させられたスルタン・アブドゥルアズィズは、まずトプカプ宮殿に閉じ込められ、4日間宮殿で過ごします。トプカプ宮殿はとても寒い宮殿で、また、当時他に誰もいなかったため、とてもみすぼらしい格好でした。アブドゥルアズィズは落ち着かず、『私を他の場所へ連れて行ってほしい』と言います。彼らはこれを受け入れ、アブドゥルアズィズをフェリエ宮まで連れて行きました。アブドゥルアズィズはそこに22日間住みました。ある晩、男達が侵入し、彼らはアブドゥルアズィズが自殺したように見せかけ、その偉大な男の手首を切り、殺害したのです。」

タルハ・ウールルエル氏は、共和国体制ができた後、フェリエ宮殿を構成していた建物が学校として使用されるようになったと説明し、さらに、今回焼失した建物は、20年間ガラタサライ大学の教育施設であったと述べた。

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(翻訳者:田中けやき)
(記事ID:28989)