ブルサのモスク修復、150年前の壁画の下には550年前の壁画
2013年02月02日付 Milliyet紙


ブルサ広域市によってはじめられたムラディエ・キュッリエ(複合施設)の修復工事で、墓廟の天井に場所を占めているオリジナルのオスマン様式の模様が、19世紀末に行われた改修によって漆喰で埋められ、その上にバロック様式の模様が描かれていたことが判明した。修復専門家らがランセットで細心の注意 を払って行った作業の結果、現れたオリジナルの模様は550年が経過しているにもかかわらず初期の鮮やかさを保っていることが注目された。

ブルサ広域市は、ブルサの「かつての首都」としての特色を前面に押し出し、街を生きた野外博物館にすることを目標に掲げ、今日まで150以上の歴史文化遺産 プロジェクトを実現させてきた。プロジェクトの一環であるムラディエ・キュッリエで開始された修復工事は、約150年間にわたり隠された秘密を明らかにし た。ムラディエ・キュッリエはムラト2世によって1425~1426年の期間に建設され、ファーティフ・スルタン・メフメトから始まり100年間にわたり次々に建設されていった12の墓廟からなる。この天井に場所を占めている壁画がオリジナルで ないことが明らかにされた。修復専門家らはバヤジット2世の妻、ギュルルー・ハトゥン・テュルベから修復工事を始めた際、墓廟の天井にあるバロック様式の模様で飾られた漆喰が動くことに気づき、穿孔を行った。作業はランセットを使い、最新の注意を払って行われ、現存している漆喰の下に残った天井が、本来オスマン様式の模様で飾られていることが明らかになった。この後、バヤジット2世の息子、マフムード皇子の墓廟で行われた工事でも同じ壁面が発見され た。

■オリジナルの壁画へ損傷が与えられた

歴史の秘密を明らかにした修復専門家サラ・オズチェリキ氏は、次のように述べた。「足場を作り天井にまで至ると、実施した調査で漆喰が動くのを見つけました。この地域で行った穿孔作業で、漆喰の下の初期オスマン時代の装飾があるのを目にしました。とりわけ17世紀にヨーロッパで流行したバロック美術の影響下におかれ、ブルサだけでなく、イスタンブルでもこのような作業が行われていたことが知られています。この墓廟群でも1850年代のバロック美術の影響で初期オスマン時代の装飾が漆喰で埋められ、その上にバロック様式の模様が描かれたのだと考えられます。今、私たちは法律に従い後代実施された修正の1/8を保護し、漆喰の下にあるオリジナルの模様を掘り出しています。漆喰に覆われていたせいで天井の模様はダメージを受けたにも関わらず、色はいまだに鮮度を保っています。私たちはオリジナルの色にまったく触れないように、損傷した箇所を修復しています。この作業の後、墓廟は初期のオリジナルの壁画に戻るでしょう。

■歴史的な事実が明らかに

ブルサ広域市のレジェップ・アルテペ市長と同行したバイラム・ヴァルダル副事務局長は、歴史文化プロジェクト・コーディネーターのアズィズ・エルバス氏と共に修復作業場で調査を行った。修復専門家サラ・オズチェリキ氏から工事についての説明を受けたアルテペ市長は、ギュルルー・ハトゥン廟の足場に上り、天井に行われた破壊行為を実見した。

アルテペ市長は、ブルサの歴史文化遺産を明るみにする目的で実施している工事の重要性を強調し、このおかげで歴史的事実もが明らかになったとした。今日まで漆喰の表面に描かれたバロック様式の模様だけを残す墓廟の天井が、本当は初期オスマン時代の装飾で飾られていたことが明らかになったと述べ、「あらゆる分野同様、修復工事でも現場の専門家チームと共に作業を行っています。約600年分の疲弊が見られるムラディエ・キュッリエでの作業でも、歴史的事実が明らかになりました。約550年にわたり残る墓廟の天井は19世紀末に漆喰で埋められ、表面に西洋の影響がうかがえるバロック様式の模様が施されたようです。この修復工事で歴史的事実が明らかになり、墓廟群は本来の姿に戻るでしょう」と続けた。

■ムラディエ・キュッリエ

ムラト2世によって1425~1426年の間に建設されたムラディエ・キュッリエは、ファーティフ・スルタン・メフメトから始まる100年の間に次々に建設されていった12の墓廟からなる。キュッリエには、ファーティフ・スルタン・メフメトの母ヒュマ・ハトゥン(ハトゥニイェ)の墓廟、ムラト2世の息子アラーディン皇子の墓廟、アフメト皇子の墓廟、ファーティフの息子ムスタファ皇子(ジェム・スルタン)の墓廟、スレイマン大帝の息子ムスタファ皇子の墓廟、バヤジット2世の妃シリン・ハトゥンの墓廟、バヤジット2世の別の妃ギュルルー・ハトゥンの墓廟、ファーティフの産婆エベ・ハトゥン(ギュルバハル・ハトゥン)の墓廟、バヤジット2世の息子マフムード皇子の墓廟、バヤジット2世の妻ミュクリメ・ハトゥンの墓廟、ファーティフの妃の一人であるギュルシャー・ハトゥンの墓廟、宮殿と関わりがあった人々が埋葬されている女奴隷・召使いたちの墓廟が存在する。

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(翻訳者:佐藤悠香)
(記事ID:29111)