イスラエル、嘆きの壁近くのオスマン朝期建造物も破壊
2013年02月07日付 Radikal 紙

イスラエルがアル=アクサ・モスクから50mの距離にある「嘆きの壁」のそばで始めた取り壊し作業は、オスマン朝期の建造物にも及んだ。

取り壊しが続く建造物の中には、オスマン朝期から残る歴史的なアーチや建物もある。

取り壊しに反対するアル=アクサー・ワクフ文化遺産財団が出した文書には、「占領勢力(イスラエル)は二日目にアクサ・モスクから50m離れた「ブラークの壁(嘆きの壁の別名)」の北側にある歴史的なアーチや建物を取り壊し続けている」と書かれている。

イスラエル政府は、取り壊しが行われている地区に、シナゴーグ、警察署、博物館のような新しい建物を建設する計画であると述べた。オスマン人らにより守られてきたアクサ・モスクの中や周りで祈るのを禁じられたユダヤ人は、歴史上初めてスレイマン1世の出した許可により、その所有権はアルーアクサー・ワクフ文化財団に残すという条件で嘆きの壁に来て祈り始めた。ユダヤ人が祈りを捧げる嘆きの壁の修復作業はスレイマン1世の時代にミーマール・シナンが行っていた。

ユダヤ人は、スレイマン1世以前は、歴史的都市の向かいにあるゼイティン山のユダヤ人墓地でしか祈りを許可されていなかった。イスラエルは1948年の戦争で嘆きの壁を占拠し、周辺にあるセラハッディン・アイユービー(サラディン)がつくり、モロッコ移民が住むシルヴァン地区を破壊し、壁の前の広場を違法なかたちで広げていた。

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( 翻訳者:畔上曜子 )
( 記事ID:29168 )