ヌールスィーの墓はウスパルタに?
2013年02月21日付 Zaman 紙


サイード・ヌールスィーの墓がウスパルタに存在するという説について、ウスパルタのメムドゥフ・オウズ知事は、「ウスパルタにこれほどの重要性と価値を与え、親しみを持ち、『歴史的に証明することはできないが、私はウスパルタの出身だ』と述べた人物の墓がウスパルタにあることは驚くことではない」と述べた。

以下、オウズ知事の会見内容

-サイード・ヌールスィーは一時期ウスパルタに住み、彼の最も重要な著書である『光の書簡(リサーレ・イ・ヌール)』の大部分はウスパルタで書かれた。これらはウスパルタを大きく特徴づけることであり、ここで作品が執筆されたことは、ヌールスィーがウスパルタに大変に重要視していたことを示している。

-ヌールスィーは作中でウスパルタに言及し、「私は歴史的に証明することはできないが、ウスパルタの出身です。私の生まれたビトリスのヌルス村に属する地区の名前はイスパリトゥです。イスパリトゥとウスパルタは関係しているのだと思っています」と書いている。ヌールスィーは、ウスパルタに関して、とても素敵な言葉を述べています。ウスパルタを愛し、ウスパルタの丘に、山々に、街々に、道々に深い足跡を残し、心からウスパルタに強く結びついたベディウッザマン(「時代の驚異」の意)・サイード・ヌールスィーの墓がウスパルタにあることは、彼の望みに合っているように思う。

-ヌールスィーは、「多くの人々が私の墓(の場所)を知ることはないだろう」という言葉を残した。シャンルウルファで何万人もの人が参加した葬儀で埋葬された後、ヌールスィーの墓が現在どこにあるのか知られていないことは、ヌールスィーの言葉を証明するものだろう。

-ヌールスィーの墓がウスパルタに存在するという説がある。ウスパルタにこれほどの重要性と価値を与え、親しみを持ち、「私は歴史的に証明することはできないが、ウスパルタの出身です」と述べた人物の墓がウスパルタにあることは驚くようなことではありません。お墓があって当然です。それは彼の望みに適っています。

-ウスパルタハ科学都市です。我々は「メッカ、メディナ、エルサレムは聖なる地、ウスパルタは義務なる地」と言います。ウスパルタは知識の都市であるよう義務付けられています。サイード・ヌールスィーの行動から見ると、知識の都市ウスパルタは、彼の理想に、願望に、そして悲願にとても適していたと言えるでしょう。ウスパルタが知識の都市であることは、この街の皆の願いです。ヌースルィーの、「多くの人々は私の墓(の場所)を知ることはないだろう」との言葉と、知識の都市ウスパルタを合わせると、道々を多くの博識者が歩き、知識を求める学生たちが行き交い、知識が息づくウスパルタで、ヌールスィーの墓(の場所)が明らかになることは間違いありません。

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( 翻訳者:能勢美紀 )
( 記事ID:29322 )