Ismet Berkan コラム:ナショナリズムを乗り越える唯一の手段はイスラム主義なのか?
2013年02月22日付 Hurriyet 紙

レジェプ・タイイプ・エルドアン首相がマルディンで行った演説についての議論が続いている。

首相は、この演説において人種主義の様相を呈するまでになったナショナリズムを非難する一方、イスラムを引き合いに出しながら話し、ムハンマドの最後の言葉とコーランに言及し、人種主義や人種差別を強く非難した。

首相のこの演説に対して、共和人民党(CHP)のケマル・クルチダオール党首は、人種主義ではなくナショナリズムを擁護するとし、「我々はアタテュルク・ナショナリストである(Atatürk milliyetçisiyiz)」と述べた。

この演説全体の背景(コンテクスト)には、トルコが解決しようとしているが何も解決できていないクルド問題がある。これを忘れないようにしよう。

本来、この国でナショナリズムとイスラム主義の間で起こっているこの論争は、新たな論争ではない。ある見解によると150~180年、別の見解によると少なくとも100年間も続く論争を、今我々は取り上げているのだ。

その背景は常にクルド問題ではなかったことは確かであるが、分離主義、あるいは領土喪失につながる要求に直面するときはいつも、この議論が火を噴くのである、トルコでは。最初は、ワラキア・モルダビア、ブルガリア問題、ギリシャ問題、次にアルバニア問題、マケドニア問題、時にはアルメニア問題が、そしてマイノリティー問題があった。そして今はクルド問題である。

我らの国で、トルコ・ナショナリズムは、最も一般的な政治的認識である。これを「近代的」に見せるために、「国民主義ulusalcılık」と呼ぶ者もいるし、やんわりと表現するため「アタテュルク・ナショナリズム」又は「愛国主義」と呼ぶ者もいるが、実際皆、行きつくところは同じである。「トルコ人(Türk)はトルコ人(Türk)のほかに友達がいない」のだ。

この空しさにより自閉症になるもの、排他的になる者、さらには他者を敵とみなす者たち、これらの者たちが、とりわけ積極的に防御しなければならない状態になると、「敵」に対し怒りを爆発させることもありうるという認識である、これは。

我々の歴史は、ナショナリズムの爆発によって生み出された問題で満ちている。時には流血の惨事が、非常に恥ずかしくばかげたできごとがおこっている。例えば1915年アルメニア人(虐殺)事件、デルスィム(クルド人虐殺事件)、富裕税、(1955年)9月6日7日事件。

この認識は、非常に簡単に社会の底辺にいる者たちを味方につけることができ、また国家が反射的に味方についてくれる認識であり、私たちは今週シノプで、3人の国会議員が数時間にわたってある建物に、命を危険にさらしながら、押し込められていたのを見た。

クルド問題解決のために、PKKと刑務所にいるPKKのリーダー(オジャラン)との対話をすすめるエルドアン首相に、最も厳しい反対がナショナリズムからもたらされたこと、そして首相がそのナショナリズムを批判したことは、一見して正しいことであるかのようにおもえる。そして、私が述べたように、首相はこの批判を、イスラム主義を論拠に行っている。

トルコの市民社会と政治の分野で、ナショナリズムを人種主義に向かわせるこの怒りの性格に対し、唯一の批判がイスラム主義的視点からもたらされたことは、正直なところ私をいらだたせる。

CHPのように、自身を「左派だ」と認識し、その上「社会主義インターナショナル」のメンバーである政党は、ナショナリズムのこうした側面を清算し、それに反対するのに、(CHPが)「アタテュルク・ナショナリズム」というこの国家のイデオロギーの根幹を形成するドクトリンを身にまとっているということは、我々の思想の貧しさの現れである。

実際、世界のあらゆる場所でナショナリズムに対し最も首尾一貫し、最もしっかりとした反対は左派から出てきていた。

これを忘れないようにしなければならない:100年以上にわたるライバル関係において、トルコ主義とイスラム主義は、断片的にではあるがお互いに影響しあい、お互いに似た者同士になってきたのだ、この2つの思想潮流は。

今日レジェプ・タイイプ・エルドアン首相を含め、ナショナリズム感情を払しょくしたイスラム・インターナショナリストを見いだすことも、ニヤズ・アトスズのようなシャーマニストの伝統に立ち返ることに言及し、自らをイスラムから完全に解き放った民族主義者を見いだすことも不可能なのである。

トルコは、何らかの形でナショナリズムの最も先鋭なヴァージョンを清算し、ナショナリズムのヴァージョンをできるだけ緩やかな状態にしない限り、クルド問題を解決することはできないし、解決の糸口にまでたどり着くことはできないのだ。

しかし、ナショナリズムを乗り越える唯一の手段がイスラム主義であるとは、私は思わない。

かつて、この国ではこのような問題に真の「自由・平等・友愛」の原則に立ち返りながら、現実的な解決策を提案した強力な政治の潮流やその支持者がいたのである。

彼らはどうしたのだろうか?

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( 翻訳者:甲斐さゆみ )
( 記事ID:29334 )