Mumtaz'er Turkoneコラム:オスマン朝にならい「オジャランを使う」
2013年02月26日付 Zaman 紙

私の記者人生を通してこれほど批判されたテーマはない。発言から今日までの6年間、常に実現に向けて努力してきた。ことは正論を唱えることではなく、この国にとって正しいことを主張することだ。

その厳格さで知られるスルタン・ムラト4世とクユジュ・ムラト・パシャのような宰相、賢く、聡明なアフメト・ジェヴデト・パシャといった人物たちは、中央に反発する者たちの首謀者に数多の州の権限を委ねパシャの称号を授けたことで知られている。この対策は功を奏し、そのことを歴史書は記した。それと同時期にイラン、 オーストリア[ハプスブルク]の[東西]両勢力との戦争状態に陥った政府は、反乱をこのように譲歩することで鎮めた。

技術や道具は変化したが、政治世界の各所に[上記のことは]同じようにとどまっている。どの時代でも、国は自国の内政問題を国際状況に注意を払いながら解決している。カラマン候国 がマジャール人の王と和解してオスマン朝を背後から攻撃しように、反乱者も力を蓄えるためにオスマン朝の敵と手を組むのだ。

クルド問題は、この29年間で国際問題に変わり、あらゆる派生組織と共に組織化した。PKK-BDP指導者のうちどの人物がどの国のインテリジェンスと協力関係にあるのかを探 ることや、誰の利益を代弁しているのか辿ることすら困難になってきている。テロ問題の解決するには、この国際的協力関係を説き伏せることが条件だ。今日我々が置かれている状況を理解できていない者は、この条件を理解しなければならない。PKKは「国際化した」組織として勢力を確かなものにした。そして補償を行うことなしに身動きが取れなくなった。トルコ以外のあらゆる政府がPKKを下請けとして利用した。組織内の競争は、支払われた、またはこれから支払われる補償の産物である。

オジャランが現在PKK-BDP船の船長に君臨している背後の力関係を、正しく理解しなければならない。オジャランに「パシャ」の地位を与えることは、ひとつの計画であり、また正解であった。オジャランが実際に指導的な立場に就くことで、組織指導者たちを、国際的責任から解放した。完全に諸外国の利益ではなく、現実的 目標に適した行動をとることを可能にした。忘れてはならない。PKK-BDP指導者のうち完全にトルコ出身者であると確信できるのは、アブドゥッラー・オジャランその人を置いて他にはいない。全ての通信・連絡は政府によって監視されている。各国インテリジェンスは彼から補償を要求できないし、そもそも彼も支払えない。

この状況は、トルコ政府だけでなく、クルドの政治にとっても非常に価値のある保証である。クルドの政治を完全に地元出身でこの土地に属するものにするためには、 この上ない好機だ。クルド人は内部を蝕んでいた「山にいる若者たちはどの政府の利益のために死ぬのか」という尋問から解放されるだろう。オジャランがこのプロセスの唯一の話し相手であることは、今後進める議論の中で外国政府の利益を計算する必要がなくなることを意味する。オジャランの背後にあるクルド人の絆を、次のようにもいえよう。オジャランはクルドの世論とその世論に従わざるを得ないPKK・BDP指導部の票を得ることで、問題解決プロセスの唯一の話し相手に選ばれた。その理由は、選挙場所がイムラル島であったからだ。

段階的戦略はPKK-BDPの両翼の計画を反映している。三段階の戦略で解決できない問題は無い。重要なのはふたつの根本的問題であった。ひとつは対立するであろうふたつの世論の心理をコントロールすること、もうひとつはPKKが国際契約から抜け出した状態で議論に参加することだ。世論の方は順調だ。ふたつ目の条件もオジャランの権威をもって確保したようである。

六年前の「オジャランをパシャに」という私の提案は、これらのメタファーだ。この提案とは逆のことが外国政府とクルド問題を議論することであることを、「ちっぽけなトルコ・ナショナリスト」以外は、良く理解しているようだ。2013年2月23日にオジャランは、パシャの称号を帯びて配下の人物たちに、ろうで封をした命令書を送った。 そしてこの日をもって29年間続いた反乱は幕を閉じた。

恐らく歴史書は政府ブレーンがこの日に勝利を収めたと記録するだろう。

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( 翻訳者:白鳥夏美 )
( 記事ID:29370 )