アラベスク音楽の巨匠ミュスリュム・ギュルセムの葬儀、盛大に
2013年03月05日付 Radikal 紙


ミュスリュム・ギュルセス氏は今日、ズィンジルリクユ墓地に埋葬された。葬儀では時折騒動が起こった。

約4ヶ月間治療を受けていた集中治療室で息を引き取ったミュスリュム・ギュルセス氏のため、最初の葬儀がジェマル・レシト・レイにて執り行われた。テシュヴィキイェ・モスクでの正午の礼拝の後、追悼礼拝が行われ、ミュスリュム・ギュルセスの遺体はズィンジルリクユ墓地に埋葬された。多くの国民が、この著名なアーティストの最後の旅を見守ろうとしたため、モスクの庭は大混雑した。ギュルセスのファンが柩の周りを囲み、誰も近づけようとしなかった。これに対し、追悼の礼拝を行なうイマームが警官に協力を求めた。警官は警備を強化し出入口を統制した。葬儀にはオメル・チェリキ氏、カーディル・トプバシュ氏、ケマル・クルチダルオール氏、ムスタファ・サルギュル氏、メフメト・セヴィゲン氏、ブラク・クト氏、フェルディ・タイフル氏、オルハン・ゲンジェバイ氏、アドナン・シェンセス氏、エブル・ヤシャル氏、アジュダ・ペッカン氏、セラミ・シャーヒン・リネト氏、クバト氏、ウミト・ベセン氏、ギョクハン・ギュネイ氏らが参列した。

■母親は体調を崩した

葬儀に参列したミュスリュム・ギュルセス氏の義理の母エミネ・アクバシュさんは、気分が悪くなり救急車に運ばれた。アクバシュさんは短い治療を受けた後、広間に戻り、いつまでもギュルセス氏の柩に取り縋って泣いた。ミュスリュム・ギュルセス氏の写真やカセットを掲げたプラカードを持ったファンたちも柩の前で祈りを捧げた。

ギュルセス氏の最初の葬儀は今日ジェマル・レシト・レイ・コンサートホールにて執り行われた。葬儀にはギュルセス氏の伴侶ムフテレム・ヌル氏や義理の母であるエミネ・アクバシュ・ギュルセス氏、オメル・チェリキ観光大臣、アーティストのオルハン・ゲンジェバイ氏やヌリ・セスィギュゼル氏、セラミ・シャーヒン 氏、イッゼト・ユルドゥズハン氏、ビュレント・セルトタシュ氏が参列した。共和人民党のケマル・クルチダルオール党首も葬儀に花輪を捧げた。

■柩の出入りの際、騒動が起きた

柩が広間に運ばれてくる間、ギュルセス氏の親族と名乗る人々と警察官の間でトラブルが発生した。無理やりモスクへ入ろうとする人々に対し、警官が干渉した。ギュルセス氏の親族と名乗る人々に対し、一部の市民は「故人に対し無礼を働いた」と非難したが、彼らは「我々はギュルセス氏の親戚だ」と主張し警官と対立した。彼らがモスクへ入ると、状況は落ち着いた。

葬儀の間、ギュルセス氏の義理の母が一時体調を崩した。エミネ・アクバシュ・ギュルセスさんは、ギュルセス氏の柩の前でいつまでも泣いていた。その後、広 間から出された。広間に入ったオルハン・ゲンジェバイ氏は、ムフテレム・ヌルさんに哀悼の言葉をかけた。ゲンジェバイ氏はその後、ギュルセス氏の柩の前へ 行った。ミュスリュム・ギュルセス氏のファンも、「安らかに眠ってください。さようなら」と書かれたプラカードを掲げ、ギュルセス氏とお別れした。

■夫の写真を撫でながら泣いた

ムフテレム・ヌルさんは、襟元に付けた(夫である)ミュスリュム・ギュルセス氏の写真を撫でた。ヌルさんは声が掠れており、記者から向けられたマイクへ話すのに苦労していた。ギュルセス氏の柩が広間に運ばれてくる間、ヌルさんは悲しみに沈んだ。

■「彼は向こうで幸せになる」

オメル・チェリキ文化観光大臣は、葬儀で次のように弔辞を述べた。「お悔やみを申し上げます。神の慈悲がありますように。ギュルセス氏が天国へ行かれますように。彼は私たちに『行った先で幸せになりなさい。もしくは私の心の王座につきなさい』と言いました。私たちも信じています、彼が行った先で幸せになり、いつまでも我々の心の中の王座に座り続けることを。」

シシュリ区のムスタファ・サルギュル区長は、「109日続いた病いとの闘い。ムスリムさんに奥さんは闘病生活中もそれ以前も伴侶としてどれほど尽くしてきたか目にしました。彼を支えた方々に感謝の言葉を述べます。誓い口にした約束ほど重要なことはありません。何事もうまく行っている際には周りに誰もがいます。そうではない時にあなた方は[故人の周りに]いらっしゃいました。友とはそういうものです」と語った。

■「世界でもっとも善良な人を失った」

アーティスト、オルハン・ゲンジェバイ氏は次のように語った。「ミュスリュム・ババとはずっと昔から友人です。あまり頻繁には会えませんでしたが、会えば いつも『どこまで話したっけ?』と話を続けたものです。この世では誰にでも使命があります。全てのものに理由があります。メヴラーナ師は言いました、『他人のために奉仕しなさい。彼らも我々に奉仕してくれるでしょう。彼らを愛し、守りましょう。彼らが使命を果たせるように』と。つまり、使命を負わされた人が任務をきちんと果した人になんと幸せなのだろうと口にしたかったということです。親愛なるミュスリュムは、この世界での使命を彼独自のやり方で全うし、旅立ちまし た。自らの任務を良く果たした人々は、この世を去って真に愛する人と出会うのですから、悲しいことではないと思います。なぜなら創造主と会えるのです。」

ムフテレム・ヌルさんは、「とても悲しいです。彼を愛してくれた人みんなに感謝しています。世界でもっとも善い人を失ってしまいました。みなさんには感謝しています」と語った。

アーティストのセラミ・シャーヒン氏も次のように話した。「ミュスリュム・ギュルセスは誰の真似もしませんでした。彼独自のスタイルで、誰もしないことをしました。我々はアダナ時代から知り合いです。私はハタイ出身です。我々の親交は40年以上です。本当にミュスリュム・ギュルセスにとって代われる人はいま せん。彼のことを語るのに言葉では言い表せません。火は落ちた場所を焼く(最も故人の近くにいた人が一番悲しんでいる)。私の心は焼けるように痛んでいます。神の慈悲がありますように。」

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( 翻訳者:篁日向子 )
( 記事ID:29420 )