Ismet Berkan コラム:「クルド問題解決プロセス」の損得勘定
2013年03月15日付 Hurriyet 紙

いつから私たちはこのように駆け引きをする国民になったのか、私は知らない。おそらく私たちはいつもそうだったのかもしれない。

急いで進められている「クルド問題解決プロセス」を「損得」勘定で見たり、このような見方をしているために「見返り」を期待している人は残念ながら多い。

そういった人々は、トルコが欧州連合(EU)と加盟交渉開始のため、コペンハーゲン基準を実施しようとした際も、同じように損得勘定でその問題を見ていた。私たちはヨーロッパの一員になるといって、(損の部分を)相殺しながら。

しかし、まさしく今日のように、その日も、「与えられるもの(見返り)」は駆け引きの材料となったもの(人)ではなく、トルコ自身の国民に与えられるのであった。つまりさらなる民主主義、さらなる人権、さらなる人道主義。

今日、まずPKKの手を(銃の)引き金から外させ、その後武装勢力をトルコから撤退させ、そして最後に「クルド問題」と名付けられている問題の糸が紐解かれ始めるなら、「与えられるもの」は民主主義と人権以外のなにものでもない。

説明してみよう。

「クルド問題」という名が与えられた問題の糸は、元来、不平等、クルド人に対する差別から起こる問題である。

(このように言うと)すぐに異議が申し立てられるのは分かっている。「この国はクルド人を大統領にさえしている」という、うまい言い回しが出てくるだろう。ここで平和民主党(BDP)所属の国会議員であるアルタン・タン氏がかつて述べたある発言を引用したいと思う。つまり、「この国では何にでもなれるが、クルド人にはなれない(なってはいけない)!」という発言である。

我々は、国家が同化政策を行ったことを、大臣を通じて発表し、「しかし私たちはもうこの政策を行ってはいない。この政策は終わったのだ」というような国に暮らしている。クルド人は自分たちが平等に扱われているとは感じてはいない。まず国家そして社会によって疎外され、2級市民として扱われ、同化政策を強いられたと彼らは考えている。こうした思いが無くならずして、クルド問題が解決することはありえない。

もちろん問題には主に2つの源がある。1つ目が国家とその政策、日々そうした政策が実施されていること、法律などである。2つ目が社会とその社会の(クルド人らへの)見方、振る舞い。

1つ目を解決するのは比較的簡単である。憲法、法律、規制における改正が行われ、それが徹底的に実施されることで、問題はほどなくして解決されるとおもう。

一方、社会はどうだろう。これを解決するにはより多くの時間がかかるだろう。しかし社会が変わることが必要であると考え、それに気づいている人は、この問題を「トルコの問題」として私たちに提示している。

現実から逃げることはできない。社会にはこのような現実があるのだ。しかし、この現実をどうにかすべきという必要性も存在するのだ。

首相はそのため、自身の意見において、宗教という武器に訴えかけ、宗教の結束力を持ち出すことで、クルド人の平等を強調する話を、世論に向け行っている。

しかし、一方で正反対の意見もある。例えば、デヴレト・バフチェリ民族主義者行動党(MHP)党首の最近の言動である。バフチェリMHP党首は、クルド人との平等という考え方にかなり違和感を覚えているため、このことは、彼自身を含め政治家に投票し、彼らを議会に送ってくれた国民に対する侮辱であるとさえみなしている。

社会に起源をもつ人種主義的、差別的態度との対峙においては、メディアが非常に重要な役割を担っている。メディアにおいて、正しい―誤り、善しー悪しの区別がきちんと行われ、人種主義的、差別的態度が幅を利かせないようにすること、さらにそうした態度は恥ずべきことと非難することが特に重要である。

社会に存在する人種差別的態度との闘いは多く、また長期にわたる闘いとなっている。見てみなさい。最もわかりやすいのがアメリカで、少なくとも60年もの間、人種差別との闘いを続けている。

問題なのは、トルコには人種主義的、差別的態度に対する闘いが必要だとする人がほんの少数だということである。本当に必要なことは、市民社会においてこのような闘いが始められること、そしてメディアがそれを支援することである。

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( 翻訳者:細谷和代 )
( 記事ID:29498 )