Cuneyt Ozdemirコラム:PKK「停戦」へ―この日を喜ばないのは・・・
2013年03月22日付 Radikal 紙


アンカラのガーズィーオスマンパシャ地区に開いたオフィスで何年もトルコ軍に様々な武器を売ってきた商人にとって30年間の戦闘に終わり が訪れた今日は最悪の日だ。30年間続いた戦闘でトルコ軍に売った何十機もの戦闘ヘリによって得た手数料で、アンカラで乗り回すようにと息子に最新の車を 買った彼も、今であれば2度考えるだろう。ここ30年間何もせず得てきた手数料や渡した賄賂を誰も追及しない、おいしい時代は過去のものとなった。今日になって喪に 服し、「これから何をしようか」と重苦しく考え始めるのも、少しはこのためである。

南東部の昔の有力者で、ここ30年間の戦闘の長にとって、今日は最悪の日である。昔のように国が全ての「小作人たち」に様々な名前で給料を支払うことはなくなる。戦地の一部であったためにもたらされた泡銭を得られなくなる。武器では真っ当な稼ぎが手にできないということを彼もようやく学ぶ だろう。南東部で平和の鳩が飛ぶことに心が乱れるのも無理はない。もはや農地で作物を栽培し、家畜を引き連れ草を食ませ、武器を埋めて村の生活に戻る必要があるからだ。犠牲を伴う戦闘による泡銭もここまでだ!今日は南東部の名もなき戦闘の名士たちにとって最悪の日だ。

■祖国を分裂させない

カフェでバックギャモンをしている時に望んだサイコロの目が来て大声でクルド語を話し、その後「このクルド人たちにこの祖国を分裂させたらいけない」と繰り返す以外に政治的見解を 持たないルンペンの男にとって、話し相手が「さあ国民の誓いのもと立ち上がろう」と言っても、簡単に呑み込める話ではない。政治の前提をリセットすると頭が混乱する。頭が混乱すると…。長くなりすぎるのはやめよう。難しい一日なのだ!

国会に何年も重く腰掛け、選挙前に自分に投票した有権者が行くカフェに寄って椅子の上に立ち、祖国だの国民だのと語る政治家にとって今日は最悪の日だ。つい昨日まで雪崩ほどに大きくした国民主義の言説は一塊の雪のように溶けてなくなるだろう。何年間も一ミリも前に進めず繰り返し続けたレトリックは一日でなくなってしまった。すばらしい票田における汚い戦の終わりが訪れたのだ。今、国民主義の新たな定義を見つけ、その定義を裏付ける必要がある。今日はこの怠け者の政治家にとって最悪の日だ。

何年も激しい言葉を見出しにして新聞をつくり、自分のコラム欄でまたもや何年も変わらない浅はかな国民主義の主張を繰り返してきた記者にとって最悪の日だ。もはや昔のように簡単に見つけたステレオタイプや憎しみが表れた見出しをつけて新聞を売ることはできなくなる上、昨日までコラム欄で煽ってきた恐怖により注目を集めることもできなくなる。時代の流れを読めない人たちは歴史のゴミ箱行きだということが改めて宣言された。戦場の記者たちが平和な報道を始める、この最初の日の仕事は難しい。多くのものを失う一方、新たな事を学ぶには時間は短すぎる。今日どこからどう見ても最悪の日は明らかに彼らにとってだ。

何年も山に住み、戦闘によって自らのキャリアを築き、戦闘が不可欠なものになってしまった、持っている武器をどうしたらいいのか分からない、武器の無い生 活がどのようなものだったか忘れてしまった、新しい人生を築かなければならない鋭いナイフのクルドの戦闘員にとって今日は最悪の日だ。この平和のハライは彼にとって両刃の鋭いナイフだ。

当選をクルド人が無神論者だという前提で設けた狡猾な政治家にとって、クルド人たちが「同じ宗教のもと結束しよう」と呼びかけた今日は最悪の日だ。

■西洋の解説者は不快

何年もトルコについてPKK(クルド労働者党:非合法)の戦闘報道を通じて論じてきた西洋の解説者にとっても最悪の日だ。繰り返してきた全てのことが使えなくなった。解決策がないという前提のもと何年間もかけて築き上げてきたトランプのタワーは[オジャランの]一通の手紙で崩れた。もはや昔のように決まりきったやり方で「クルド人の事を私たちは理解しているのに、あなたたちは理解していない」と言うことはできない。講演でたくさんの人を前に知識を披露することもできない。「あなたたちトルコ 人は戦闘をすることしか知らない」と上から物を言えなくなる。再び築かれたこの秩序、平和を理解するには時間も労力もかかる。ソーシャル・メディアでこれほどの平和の言葉が飛び交うなか、クルド人よりもクルド人的な、戦士たちよりも戦闘的な言葉にはもはや場所はない。このため、彼が当惑したりへまをしたりするのも理解する必要がある。

今日は、でもでもでもと言いながら過ごしてきた心配性の現代的人物にとって最悪の日だ。「でも」を奪われた子供のように全てを失い取り残された。新しい「でも」の続きを見つけるには時間がかかる。

トルコが何年間も切望してきて、ようやく平和の希望が初めてこれほど明確に実ったこの春の日は、ここ30年間でおそらく最も素晴らしい日だ…。しかし同じ日が一部の人たちにとって最悪の日であることは認めよう。

彼らの仕事はどれも昔のように簡単にはいかないだろう。

付記:親愛なるメフメト・アリ・ビランド氏は、これに関して何年も書いてきた何十もの記事の中で、まさに今日生じた解決状況を指摘しており、彼こそが今日の日を目にするべきであっ た…。平和に対する希望を失うことなく、このために行ってきた報道と論評により大きく貢献されたビランド氏を、この素晴らしい日に敬意をもって偲びます。

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:29539 )