Ismet Berkan コラム:ディヤルバクルの安堵と笑顔!―「停戦」宣言翌日に
2013年03月23日付 Hurriyet 紙

ディヤルバクルのネヴルーズ集会で発表されたアブドゥッラー・オジャランの宣言の歴史的重要性を、一番理解しているのはディヤルバクルだろう。

これは自然なことだ:ここディヤルバクルは老いも若きも、皆が政治に過度に関わっている都市なのだから。我々はヒュリエット紙の記者として「翌日」を取材するためにここにいたが、おそらくイスタンブルの全新聞社はすでに返ってしまっただろう。我々は路上の市民から平和民主党(BDP)議員や共同党首、知事、警察局長、市長にいたるまで全員と話し、取材した。最後に言おうとしていたことを最初から書いてしまおう:

ここ30年で何十回もこの都市を訪れ、取材に取り組んだ記者としての私が思うに、ほとんど全ての人が安堵していた。この事態を最もうまく説明してくれたのはBDPのセラハッティン・デミルタシュ共同党首だ。「この3年間は、非常に苦しく、ストレスの多い日々でした。しかしネヴルーズの夜、それが一変し、あらゆるストレスから解放されほっとしました。」

朝、同じ質問をBDPのスッル・サクク議員にも聞いた。彼も自身と周囲の安堵の気持ちを説明してくれた。しか し最も衝撃的だったのは、ディヤルバクルの城壁内にあるスル市のアブドゥッラー・デミルバシュ市長の発言だった。彼の息子の一人は4年間山岳地帯にいるPKK(クルディスタン労働者党、非合法組織)組織の中におり、もう一人の息子は兵役に行く準備中だ。「初めて-」彼は言う。「昨日の夜は妻と安心して眠ることができました。毎晩飛行機が飛び、家の上空を通過していきました。私たちは朝まで不安でしたよ。この飛行機が息子を殺してしまったんじゃないかって。でも今は安堵しています。おそらく 私たちと同じ境遇の何千という家族や親が同じように胸をなでおろしたでしょうね。」

マルディン門近くの路上で出会ったレムズィさんも、安堵している一人だ:「兄の一人が(PKKが拠点を置く)山で亡くなった。家族は私を山に行かせないように逃がし、イスタンブルに送ったんだ。今はここで小売業をしているよ。昨日の夜からずっと雲の上にいるみたいだ。終わったんだよ、もう。死ぬことはないんだ。」

本当に終わったのだろうか?ここディヤルバクルでは誰もPKKのアブドゥッラー・オジャランの声明に反対することは考えていない。「今日、明日中にとはいかないだろうが、 近日中に組織がオジャランの宣言を実行するだろう」とBDP幹部。スッル・サクク議員の「ここには希望への旅路が広がっている。希望への旅が始まったのだ」という言葉はまさに現在の状態を表している。みんなが希望に満ち溢れている。

武装闘争の時代がアブドゥッラー・オジャランによって終結することへの疑問はまだ聞かれない。「武器を捨てることはありえない」という人も見えない。この「何をおいても武器を手にする」という思想が特に若い世代に広まっていることはよく知られている。事実、スル市のデミルバシュ市長の当時16歳の息子が、 父が有罪となったことに対し、「ほらね、父さんの民主政治では何も変わだらない。このトルコ共和国は武器が必要なんだ」と言って山へ行ったのは有名な話だ。デミルバシュ家には今日は子供たちから連絡はなく、声も聴いていないようだ。「しかし少なくとも生きていることは分かっています。彼が山から下りてきて、これから会えると希望が膨らみました」と父は語る。ディヤルバクルは希望に満ち、楽観的で少し解放感が漂っている。「翌日」の状況はこんな感じだ。

■ネヴルーズ観光

あるテレビ番組に出演するために、ディヤルバクルの城壁の有名な「ケチ(ヤギ)の塔」に行ってとても驚いた。男女何百ものグループが城壁の周囲を歩き回り、写真を撮っていた。そこにいた何人かは私の姿を認め、おしゃべりが始まった。ある者はマルディンから、別の者はビンギョルからネヴルーズのために来ていた。そこには希望があり、笑顔だった。他の男女のグループはバトマンから来たと言った。「人生で一番楽しいネヴルーズだ」と話してくれた。これから先のネヴルーズ が楽しみだけで満たされることを一緒に願った。ネヴルーズに訪れた「停戦」の次の日、ディヤルバクルの観光客は、この場所に活気をもたらした。

■解決には法的な枠組みが必要…

ご存知のように、先週、BDPのあるグループが、ハブルから北イラクへ抜けて、カンディルでPKKの幹部と会った。このBDPメンバーたちは、アブドゥッラー・オジャランからのメッセージをカンディルに届け、カンディルからの回答をトルコに運んだ。通常の状況下では、この行為はトルコ刑法とテロ対策法に違反する。すでにこの罪ではクルディスタン社会連合(KCK)の裁判で、刑務所送りとなった弁護士が多くいる。明日、検察官がこれらのBDPメンバーらについて調書を書いたらどうなる?こうした例は他にもある:ディヤルバクルの警察は、検察局の命令によりネヴルーズの会場においてプラカードやスローガ ン、ネヴルーズの期間中に行われる演説に関する調書を準備している。この調書は検察に送られ、検察の調査が始まる可能性が高い。

ネヴルーズで犯罪行為はあったのか?「かつてのトルコ」にはあったが、今でも我々はかつてのトルコのままなのか?

こうした理由で、現在進められている、非常に重要な段階が置き去りにしている「(司法)解決のプロセス」が、法律の枠組みにおいて再度検討されることは重要だと考える。政府が議会にその打開策を提出するであろうというのが、ディヤルバクルの大方の予想だ。

(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:鈴木直子 )
( 記事ID:29540 )