イェニカプ・メヴレヴィハーネの墓地、心痛むこの状況
2013年04月07日付 Zaman紙


イスタンブルでは歴史建造物の補修や修復が続けられているが、市中心部にある一部の建造物が見捨てられていることは無視できないことだ。ゼイティンブルヌ地区にあるイェニカプ・メヴレヴィハーネの墓地は、放置されていたため薬物常習者らが住み着いた。墓石は引き抜かれ、壊され、略奪された。

イェニカプ・メヴレヴィハーネは、メヴレヴィー教団のイスタンブルにおける最大の中心地で、トルコ文化史においても重要な場所のうちの一つだ。ゼイティンブルヌのメルケズエフェンディ地区にあり、メヴレヴィハーネに属する墓地の荒れ果てた姿は、見るものたちの心を痛ませている。ウトゥリやデデ・エフェンディのような偉大な芸術家を輩出したメヴレヴィハーネの一部は、ファーティフ・スルタン・メフメト大学の文明融和研究センターとして機能している。オスマン時代の修道場建築の素晴らしい一例であるメヴレヴィハーネに属する建物と、大学キャンパス敷地内にある墓地部分は補修された。しかしキャンパス外にある部分には関心が向けられず、ホームレス、麻薬常習者、酔っ払いの居場所と化している。時の流れに耐えてきた歴史ある墓石は現在放置されたために引き抜かれ、壊され、略奪されてしまった。警備が行われていないため、出入りを管理することができていないのだ。
1597年、イェニチェリ書記官のメフメト・エフェンディにより造られたメヴレヴィハーネの墓地は、ハムーシャン墓地という名で知られている。ハムーシュはペルシャ語で「静かな」、ハムーシャンは「静かな人たち」という意味だ。メヴレヴィーの伝統では、死者はこの名前で祀られる。ハムーシャン墓地の周りにはいくつかの防犯カメラが設置された。大学の警備員も墓地周辺を警戒しているが、事件が起きたときそれに対応する警備組織はない。周辺住民は、夏の暑い日に墓地の横を通る際、悪臭に悩まされているという。
墓地はメヴレヴィハーネに属しているため、メヴレヴィー教団長や門弟、その親族の墓はそこにある。墓地に眠る重要な人物の一人が、イェニカプ・メヴレヴィハーネ最後の教団長、メフメド・アブデュルバキ・バイカラだ。父親の死後、教団長を務めたアブデュルバキ・デデは、1915年にスエズ運河をイギリスから奪うために結成された志願隊「ムジャヒディニー・メヴレヴィイェ」で少佐として任務に就いた。第一次世界大戦の戦士アブデュルバキ・デデは、1925年に修道場が閉鎖されると、「トルコ人の炉辺」のイスタンブル支部長をはじめ多くの組織で働いた後、バクルキョイ・アルメニア人高校で文学教師を務め、1935年に亡くなった。また、アフメト・ヴェフィキ・パシャの孫で、共和国初期の女性作家の一人であるファトマ・ファフリュンニサ・テズジャン氏も、廃墟状態にある墓地に眠る著名人のうちの一人だ。メヴレヴィハーネは1997年の大火事の後、文化庁により補修されたが、ワクフ総局から得られた情報によると、墓地の所有権はイスタンブル広域市にある。墓地が放置されていることに関して市関係者に問合せたが、調査中だとして情報は得られなかった。

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(翻訳者:菱山湧人)
(記事ID:29634)