ビュユクアダ(島)のトロツキーの家、博物館へ
2013年04月11日付 Hurriyet紙


かつての所有者の意向に応じてイスタンブル広域市議会によって住宅地とされていたロシア革命における思想的指導者の一人、レフ・トロツキーが暮らしていたビュユクアダにあるアラプ・イッゼト・パシャ邸は、文化遺産保護委員会によって保存されることになった。同邸はイスタンブル広域市議会の決定によって住宅地の指定を外され、邸宅の博物館として利用されることになる。

トロツキーがロシア革命後の1929年から1933年までの4年間の亡命生活の中で、著名な客人をもてなし、日々魚を釣り、ロシア革命史を書きながら過ごしていたアラプ・イッゼト・パシャ邸の、住宅としての利用を許可したイスタンブル広域市の計画を、イスタンブル第5地域文化遺産保護委員会は承認しなかった。保護委員会は、問題の不動産が国有化されるであろうと明かした。これを受け、イスタンブル広域市が今月の定例議会で決定をくだし、それによりこの邸宅は住宅地の指定を外され、建物は博物館として利用されることになった。

■文化省も博物館になることを望む

文化省は以前、トロツキー邸をそのまま博物館とすることを望んでいた。ところが最も重要な保護が必要な文化遺産として登録されているこの歴史的建造物の所有者は、イスタンブル広域市に申請し、この土地の“文化施設地”の指定を外し、“住宅地”とされることを求めた。イスタンブル広域市都市計画局はこの決定が「島の文化・自然価値の保護に関する基本的決定との矛盾を生む」との見解を明らかにしたが、2012 年2月16日に行われたイスタンブル広域市2月定例議会でトロツキー邸の住宅地指定が承認された。

■保護委員会は何といった?

イスタンブル広域市議会によるトロツキー邸の住宅利用許可に関する保護委員会の2013年2月28日付の決定は以下のとおりである:

「文化遺産・博物館総局の2012年11月6日付文書により、レフ・トロツキーが一時期住んでいたビュユクアダ130区3番地に位置する不動産は2013年の国有化計画において検討されることが決定された。1994年に承認された1:5000縮尺の保護を目的とした整備開発計画図では、この土地は住宅地とされていたが、イスタンブル第5地域自然文化自然遺産保護委員会の2011年3月7日付の決定に基づく保護を目的とした整備開発計画では文化施設地に指定されている。(保護委員会は)この邸宅はトロツキーが一時過ごしていた家として幅広く知られているため、文化施設地としてとどめる必要性があり、計画変更の提案は不適切であるとの決定をくだした。」

■トロツキーとは誰か?

本名はレオン・ダヴィーダヴィチ・ブロンシュテインであるトロツキーは1879年にウクライナ南部で生まれた。1897年にロシア労働者同盟という名前の秘密結社を結成した。皇帝の秘密警察によって逮捕されてシベリアに抑留されていた。1902年にトロツキーという偽名を用いた偽造パスポートでウィーンに、そこからまたロンドンに亡命した。1905年の革命ではサンクト・ペテルスブルグに帰還すると労働者ソビエトの指導者に選出された。1907年に再び逮捕され、シベリアに送られたが、再度ロンドンに亡命した。1917年革命ではロシアに帰還した。外務人民委員、のちには国防人民委員を歴任し、軍事会議議長に就任すると、赤軍を創設した。1924年のレーニンの死後、スターリンとの権力闘争に敗れ、1928年にアルマアタに、1年後にはトルコに亡命した。1933年にはフランスへ、その後オスロに移った。1937年にメキシコシティーに居を構えた。1940年にスペイン人共産主義者であるラモン・メルカデルにより頭にピッケルで一撃を加えられて殺害された。

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(翻訳者:齋藤洋輔)
(記事ID:29659)