マシャーイー「われわれのイスラームを世界に示そう」
2013年05月04日付 Mardomsalari 紙

 非同盟運動事務局長を務めるエスファンディヤール・ラヒーム=マシャーイーは、

イスラーム主義の新たな時代が始まった。それは、救世主マフディー主義の時代と名付けるべきものである。イスラームという名の普遍性のプロジェクトは、〔社会の要請に〕応えるものではもはやない。世界の一般民衆の普遍的概念としてのイスラームに対する認識は、否定的なものとなっている。特に一部の国で唱えられている〔イスラーム〕理解を踏まえるならば〔、それは当然だろう〕。それゆえ、イスラームの原理に拠って立ちながら、イラン・イデオロギーから生まれたところの、「われわれのイスラーム」を世界に示すべきなのである。これは、イスラームを排除しようという意味ではない。

と述べた。

※訳注:ここでマシャーイーが述べている「一部の国で唱えられている〔イスラーム〕理解」とは、アフガニスタンなどにおけるターリバーン主義やサウジアラビアのワッハーブ主義、エジプト等でのサラフィー主義などの、急進的なイスラーム主義思想を念頭に置いているものと思われる。こうしたアラブ・スンナ派のイスラーム主義ではない、イラン発の「われわれのイスラーム」こそが世界リードするイスラーム主義であり、それは「マフディー主義」と名付けられるべきものだ、というのがマシャーイーの議論である。

 非同盟運動通信が伝えたところによると、エスファンディヤール・ラヒーム=マシャーイー大統領顧問は学生や若者、社会活動家らとの面会の中で、「われわれの前に政権の座に就いた者たちも、国に奉仕し、スローガンを掲げ、自由や民主主義を主張してきた。しかしその原理に忠実ではなかった」と言明し、その上で次のように続けた。

自由は極めて重要な原理であり、それなくして〔人間の〕完成に意味は見出されない。自由に選択することのできない者は、完成への道を得ることはできない。社会は自らの進路を自ら選ぶべきである。もちろん、何者かが社会を傷つけたいと考えているのなら、それは別問題である。自由は尊重されるべきものであり、それに敬意を払うことは〔イスラーム法上の〕義務である。

 非同盟運動事務局長はまた、〔‥‥〕「亡きイマーム〔・ホメイニー〕は革命について、圧制あるところ、つねに闘争あり、闘争あるところ、つねに我々あり、と仰った。これは、地上はどこもがカルバラーである、という意味である。イマームはまた、マフディー革命まで闘争は継続されるとも仰った」と述べた。

※訳注:カルバラーとは第3代イマーム・ホセインとその一族郎党が正義のために命を落とした地の名前であり、「地上はどこもがカルバラーである」というのは、世界中のあらゆる場所が正義のための闘争の場とならねばならないという、世界革命論的な主張を表現している。なお、「どこもがカルバラー」というスローガンは、79年革命に甚大な影響を及ぼしたイデオローグのアリー・シャリーアティーが用いたものである。なお、ホメイニーはシャリーアティーの議論を嫌い、また現イスラーム共和国体制と血で血を洗う闘争を繰り広げたMKO(モジャーヘディーネ・ハルグ)は、シャリーアティーの議論に強く影響されていた。

 ラヒーム=マシャーイーはさらに、次のように言明した。

イスラーム革命を信じ、イマームの思想体系を信奉する者は、この信念がもたらす影響や結果、それに必要とされるものを受け入れなければならない。美しきみなさん〔※〕、「時のイマーム」〔※救世主マフディーのこと〕のイデオロギーでは、全員が兵士なのだ。そしてもしその兵士に司令官がいて、実際にその司令官の兵士であるのなら、自らの配給について心配することも、ビジネスライクな考え方をすることもないのである。

※訳注:ここで「美しき」と訳した部分は、ペルシア語では「バハーリー」という語が用いられ、逐語的には「春の」という意味である。これはアフマディーネジャードが次期大統領選に向けて、「春(バハール)よ、永遠に」をスローガンとして掲げていることを念頭に置いた表現であると思われる。また、「春」は「救世主マフディー」の隠語とも言われており、よって「美しき」とは「救世主マフディーの到来を信じる」という意味を込めているとも考えられる。マフディーは終末の直前に現れ、現世に正義に満ちた世界をもたらす指導者と考えられている。

 同氏はさらに、「〔イラン・イラク〕戦争が終わってから今日まで、一部の者は口ばかり達者で、実際の行動がともなっていない」と指摘し、その上で「彼らが何を心配しているのか、私には分からない。あらゆる考え方が〔選挙の〕表舞台に立って、自らを国民の選択に晒すことができるようにするべきだ〔‥‥〕」と語った。〔‥‥〕

 同氏はまた、「われわれの親愛なる最高指導者ならびに政府と、その他の一部の者たちの考え方の間には、次のような違いが存在する。彼らは自らが選挙で選ばれるために、〔国民の〕選挙への参加が最少であることを望んできたし、今も望んでいるのに対して、〔ハーメネイー〕師と〔アフマディーネジャード〕政府は選挙への国民の最大限の参加を求めている、という違いだ」と語った。

 同氏はイスラーム主義の時代の終焉について、〔‥‥〕「私が言いたいのは、誰でもがイスラームについて〔軽々しく〕口にできるような時代は、すでに終わったということである。特にイスラーム革命の勝利後は、誰もがイスラーム主義を主張することなどできない、新たな時代が始まったのである。果たして今日、イスラーム共和国において、サウジアラビアやトルコ、エジプト、カタールなどで主張されているようなイスラームを認めることなどできるだろうか」と指摘した。


(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:ペルシア語記事翻訳班 )
( 記事ID:29877 )