Murat Yetkinコラム:小さな抗議運動を大規模市民運動にかえたもの
2013年06月01日付 Radikal 紙


警察の対応により小さな抗議運動が大規模市民運動にかわった

公正発展党(AKP)がイスタンブルの中心部タクスィムに唯一残った緑地であるゲズィ公園を、オスマン帝国時代に使われていたように兵舎として新たに作り替えようとしたことに反対するため、4日前、50人程度の人々が広場に集結した。政治の舞台裏では、タイイプ・エルドアン首相自身が行ったスピーチをきっかけに、「兵舎の建物の中にショッピングモールが建設される」とのうわさが駆け巡っていた。警察がこの段階で、ほとんどがこの地域の住民である技術家や建築家から構成されていたデモ集団に足蹴りや平手打ち、さらにはガスによる鎮圧を行わなければ、たぶんこの集団はひとしきりそこにやってきて叫び、たぶん野党でさえ見せかけだけの関心を示し解散して行っただろうに。
しかし状況はまさに「ガスを浴びせられる赤い服の女性」の写真で見られるようなものとなった。

楽観的予測通りにはならなかった。その晩、タクスィムに集まった人々の数はほとんど10倍に膨れ上がり、それでも対話ができる程度の人数だった。あるものは道路拡張工事のために伐採された樹木を守るためテントを設営したし、またあるものは同様に伐採が予定されている木を自分たちで守るため公園にテントを張り始めた。警察の最初の夜明けの鎮圧もまさにこのとき始まったのだ。伐採作業を開始するため公園にブルドーザーを持ち込んで作業を開始したとき、そこにイスタンブル選出のスッル・シュレイヤ・オンデル平和民主党(BDP)議員が現れた。彼はここを選挙区としていた。北京の天安門広場で戦車の前に立つワン・ウェイリン氏やモスクワの赤の広場で戦車の上に立つボリス・エリツィンをほうふつとさせる姿でブルドーザーの前に立った。

このことも1つの契機となった。その日エルドアン首相がヤヴズ・スルタン・セリムと名付けられたボスフォラス海峡の第3大橋の着工式に際して、デモの参加者がなんと言おうと兵舎を建設すると説明したことで、警察の行動はより先鋭化し、さらに多くの人々がタクスィムに集まってくるようになったのだ。共和人民党支持者らも姿を現した。しかしこの地区を選挙区とするセズギン・タンルクル議員(CHP)は、人権擁護派としてデモの前面に立った。自身もガスや放水を受けながら警察関係者と衝突し、その後倒れて入院することとなった。

昨日、デモの盛り上がりは最高潮に達した。朝の取り締まりでいくつかのテントが焼かれた。負傷者の中には、頭部にガス弾を受けたアフメト・シュク記者がいた。夕方頃、県知事、市長と警察署長がメディアに登場し、デモ集団の中に善意の市民がいたとしても、デモ集団の参加者の多くは「別の意図をもっている」と述べた。デモ参加者たちは自らの行動に、中国やロシアとは異なる、(リーマンショック以降の不景気の中)米国の金融業界を象徴するウォール街のデモ「ウォール街を占拠せよ」をもじって「タクスィムを占拠せよ」という名称を与えている。この抗議運動も、「ウォール街を占拠せよ」と同じ結末をたどるであろう。エルドアン首相がタクスィム再開発決定を再検討するなら、それは大きな驚きであるし、初めてことになる。しかしこれは言っておかなければならない。警察のとった対応が、小さな抗議運動を大規模市民運動にかえたのだということを。

矛盾が表面化している。かたやこの国最大の問題であったクルド問題を、これ以上の流血をもたらさずに解決すべく責任をもって手を尽くしたエルドアンが、一方では都市生活に関わることが原因で発生した単純なデモに我慢できず、厳しく対応している。問題の構図はこれである。


(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。)

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:山本涼子 )
( 記事ID:30174 )