Murat Yetkinコラム:ゲズィ公園抗議と、アラブの春の違い
2013年06月03日付 Radikal 紙


エルドアン首相が、タクスィムへのショッピングセンター建設計画に固執するのをやめ、代わりに(近隣での)モスク建設に言及したことは、彼の支持層を考えると、重要な転機といえるだろう。

タクスィムのゲズィ公園の再開発をめぐって、先週3日間にわたって警官が常軌を逸した圧力(と催涙ガス)を用いたことで激化していった衝突は、4日目の5月31日金曜日の夕方には収拾がつかなくなり、一部の欧米のメディアは短絡的にも「トルコの春」と名付けて報じた。

タクスィムでの抗議活動が、11年間の公正発展党政権において初めて、タイイプ・エルドアン首相がこれほどまでに個人的に主張してきたプロジェクトへの固執を(内務省によると48県における93件のデモの後)撤回するという結果を招いたこと、そしてそれをエルドアン首相個人にとっての一つの転換点と見なすべきであることは確かである。
しかしタクスィムの騒乱がなぜ「トルコの春」では有り得ないのかということについて、次のことを述べておくべきだろう。

タクスィムのデモ参加者たちは、大まかに次の3グループに分けられる。

まず彼らの大部分は、いかなる組織とも無関係ながら、現代的で世俗的な生活様式が脅威に晒されていると感じ、おそらく生まれて初めて抗議活動に参加した人々である。2つ目のグループは、市民組織とでもいうような、社会的に組織化された人々から成る。その組織は、職業団体からスポーツチームのファンクラブにいたるまでのもので、内部での情報のやりとりによってここに集まってきた。3つ目は、ごく少数であるが、政治的に組織化された合法もしくは非合法のグループと、それらの間で居場所を探している(政治的もしくは非政治的な)破壊活動を中心に据えたグループである。タクスィムの抗議活動を快く思わない者へ(抗議活動に対する)批判材料を最も多く与えたのも彼らであった。

土曜日(6月1日)、特に首相が昼時に火に油を注ぐような会見を行なった後、警官の暴力と群衆の怒りがエスカレートし、同日夜には更に緊張が高まり流血に対する懸念が募った。しかし共和人民党(CHP)党首がカドゥキョイでの会合をキャンセルし、タクスィム(抗議運動)を支援するよう支持者に対し呼びかけた後、アブドゥッラー・ギュル大統領が動き、エルドアン首相へ電話をかけ、その後警官が広場から引き上げ、他方でクルチダルオールCHP党首がタクスィムへ自ら足を運び、抗議活動を手中に収めようとはしなかったことによって、数時間のうちに緊張は和らぎはじめた。

「トルコの春」との根本的な違いはここにある。タクスィムの件は、トルコにおいて民主主義が依然として機能していること、事件の収拾にむけ、方向を変える可能性を持っていることを示した。タクスィムで抗議運動が始まったこと、参加者らが警官の暴力にひるまず非暴力の抵抗を続けたこと、そして野党や弁護士協会のような団体や、建設予定のショッピングセンターに店舗を出さないことを宣言したチェーン店、それからようやく一時期(憲法裁判所とともに)「ワンマン」政権と呼ばれるほどにチェックアンドバランスを欠く強力な(公選)大統領制に対し反対の立場をとっていた大統領が事態に介入したことが、短期間で流れを変えた。

クルチダルオールCHP党首が用いはじめ、抗議運動参加者らが頻繁に唱えた「独裁者」という非難に、エルドアン大統領がどれほど居心地の悪い思いをしているかということは、昨日3つの会見でこのことに反発したことから分かる。(演説のひとつで)タクスィムにショッピングセンター建設計画に固執することをやめ、代わりにモスク建設案をもちだしたことは、彼の支持層を考えると重要な転機といえよう。

これらは、2014年の地方選挙と大統領選挙、そして必ず2015年の総選挙に影響を与えるだろう。

【解説:公正発展党の支持層は、中道右派から親イスラム派までの層からなっている。筆者は、エルドアン首相によるタクスィムへのモスク建設への言及は、中道右派層との決別を意味するとの見方を示している。】


(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。)

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:篁日向子 )
( 記事ID:30199 )