Kolay Caliskanコラム:ゲズィ「反乱」の5つの理由
2013年06月05日付 Radikal 紙


そもそも人びとが伝えようとしていることは「50%の得票率は全権を委任されたということではない」である。

全ては2年前に始まった。首相は左派とリベラル派の賛成を得ながら軍の後見[体制]を統制下に収めた。軍を政治から徐々に引き離したことはある政治的潮流を生みだした。

公正発展党は自分たちをこれほどの成功にもたらした他党派との連携を解消し始めた。まず左派内の一部が去った。(2010年の改憲国民投票の際に唱えられた)「不十分だがそれでも賛成」の言葉を左派は二度と聞きたくないであろう。かつて若い市民という市民団体がいたが彼らも去った。

リベラル派も去った。利用されたと痛感したのだ。彼らは仕事も居場所も失い、(公正発展党と)縁を切った。宗教団体は、独善性、高圧さを非難し始めた。こうした事態を受けて、エルドアン首相は、現実との関わりを弱め、[相手が]弱体化するにつれ[自身が]力をつけたと考え、孤立化するにつれ取り巻きが増えたと信じる人間へと成り果てたのだった。

■これまでのあらまし

[2011年の]ウルデレ事件がことの始まりである。エルドアン首相は[トルコ軍の爆撃により]34人の市民が亡くなった事件に責任がありながら、ただの一度も謝罪の言葉を口にしなかった。1938年のディルスム事件に対して共和人民党に謝罪を促すため、政府の名のもと首相が深い憂慮を口にしたすぐ後に、(起きたウルデレ事件の)問題から目をそらせようと急いで中絶禁止を打ち出した。しかしこれは成功しなかった。また大統領制の論争も国中を緊迫させた。しかしこれも実現しなかった。人びとが弱っただけだった。

その後トルコにも9.11が襲った。歴史上初めて市の街区が爆破事件を経験した。このすぐ後に、成人に向け午後10時以降の酒類の販売・購入が禁止された。

禁止事項の増加によって政府による権威主義的政策に向けた論議が爆発した。そしてさらにエルドアン首相は国の最も重要な都市の、最も政治的で最重要な広場にある唯一の公園の樹木を切り倒し、ショッピングセンターを建てよう試みた。

■「2人の飲んだくれ」発言

政権与党の思い上がりと言ってもよい。人々や組織が過剰で制御できない力をもつと行き着く先がこれである。これらの論争を受けて[エルドアン首相による]アタテュルクに向けたものだとされる「飲んだくれ」発言が生じ、それが世論の怒りを頂点に達しさせたのだった。

社会にはだれもに共有する物語がある。ケマリストであろうとなかろうとアタテュルクはトルコ社会の間で共有されている物語の中でも最も重要な主人公である。批判するのは結構。しかし彼を蔑むことはどうだ?これに賛同するものは皆無である。そしてその後、初めて何百万人が、50以上の都市で立ち上がった。政権が得た(得たとしたら)最も大きな教訓は、人びとのあの公園を壊さないことであろう。そもそも人びとが伝えようとしていることは「50%の得票率は全権を委任されたということではない」である。

■次何が起きる?

デモの行方は非常に重要である。解放区をつくり、結末の見えない冒険に着手するために警察とみたらあらゆる場所で攻撃することは、民主的行動ではなく、民主主義を破壊する行為である。

現時点でやるべき事は、タクスィムに関するデモ抗議は「樹木と民主主義」を守ろうとしている市民の抗議であることを世界中に証明することである。それ以上の行為はタクスィムとゲズィ公園を守ることを困難とするだろう。市民は力よりも頭を使う時に勝利を手にする。[被る直接の]暴力に怒る代わりにそうさせる力に怒らねばならない。それも民主主義的方法を通じてだ。

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( 翻訳者:小幡あい )
( 記事ID:30216 )