Murat Yetkinコラム:注目は、エルドアン首相の行動
2013年06月06日付 Radikal 紙

首相は、ギュル大統領やアルンチ副首相がはじめ、多くの人が殺到している火消し作業に、加わるだろうか?

首相は木曜の夜にトルコに戻ってきて、何をいうだろうか?アンカラの首相府の廊下からタクスィム広場でテントをはるデモ隊まで、みなが気にしているのはその点だ。

なぜなら、ほんとうのことをいえば、エルドアンが4日まえに北アフリカ訪問に出て以来、タクスィム抗議活動をこれ以上激化させずに解決させようと、(人々は)できるだけのことをしている。もっとも重要な役割を果たしたのはギュル大統領だ。5月31日に首相がより強硬な演説をして、警官隊のデモ隊対応がより激しいものになったが、ギュル大統領は、その逆に、それまで受け身一方だった抗議者のなかから警官に抵抗する人々が現れ、心底心配な事態となったのを受け事態に介入した。警官隊が引き人々がタクスィム広場に入り夕方には事態が収拾に向かうかと思った矢先、エルドアンが発した「ならずもの(チャプルジュ)」の語は、とっくに2本の木の問題どころではなくなっていたゲズィ公園運動を、「生活スタイルの防衛」運動へのかえ、運動は、2日間で48県へと拡大した。

このとき、政府がPKKと対話プロセスにあることを理由に、にBDPが(また、PKKの市民組織、KCKが)この運動に距離を置いたことを忘れてはならない。タクスィム抗議は、クルド人の抵抗運動 vs. トルコ的世俗主義の構図や、左翼運動は終焉したという仮説を無効なものにした。タクスィムの人々は、自分の要求を武器ではなく大衆運動で表明した。ギュル大統領が、これはが「中東的なデモではなく、ヨーロッパ型のデモだ」といったのは、この意味で重要だ。

ギュル大統領は、CHPのクルチダルオール党首や、BDPのスッル・スュレイヤ・オンデル議員(彼は、国民の代表にもっともふさわしい政治家であることをこの事件で証明した)、ビュレント・アルンチ副首相と会見し、クルチダルオール党首は、会見直後に、抗議者らに対し暴力や破壊をやめるよう呼びかけた。

アルンチ副首相は、警官が初日に過剰な暴力と催涙ガスを使ったことが「事態を悪化させた」とのべ、人々の前で自己批判をした。抗議は暴力的にさえならなければ当然の権利であるとし、より大事なことは、トルコが様々な異なる生活スタイルをもつ国としてここまで来たことを、ギュル大統領同様、強調したことだ。

警察の過剰な暴力のせいで負傷した人々に謝罪した。この件では、排除の論理ではなく、人々を包みこむことの重要性を強調した。さらに、野党からだけでなく、アメリカやEUからも届いた「中庸と対話」の呼びかけの影響からか、タクスィムデモ隊の代表とも面会すると発表した。

これに対し、タクスィム抗議者らも、昨日(5日)の晩の、「聖昇天の夜」(ムハンマドが天に上った夜を記念するイスラムの特別な祈りの日)にちなみ、広場で酒をくばったり、大声でさけんだり、祈りの時間の最中の騒動を起こすことを厳禁し、広場でコーランをよみ、(聖夜につきものの)スィミット・パンを配ると発表した。トルコ商工会議所会頭のリファト・ヒサルジュクルオール氏は、首相やその家族に対する侮辱的なスローガンに抗議し、民主的な権利を行使するなら、そのようなことはしてはならないと述べた。CHPのギュルセル・テキン副党首は、6月8日に予定していた反政府ミーティングを延期すると発表した。AKPの副党首も、エルドアン首相のトルコへの帰国の際に、AKP青年団が大規模なエルドアン支持の大衆行動をしようとしているという方向での報道を否定した。

こうして、この絡み合った平衡状態を解決のために、最大の謎だけが残った。

エルドアンは帰ってきたら、何をいうのか?

「前から言ってきたことの続きを」といって、「ならず者に靴はやらない」路線を続けるのか、ギュルやアルンチがはじめ、みながそれに加わろうとした火消し作業に加わるのか?この答を誰もわからない。これは、トルコの前にある10点満点の問題だ。


(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:和泉由美子 )
( 記事ID:30250 )