Şahin Alpayコラム:首相は変わらねばならない
2013年06月06日付 Zaman 紙

トルコは、民族、宗教、言語、文化、イデオロギーなど、多くの面で多層的構造を持ち、それが微妙なバランスで保たれている社会だ。トルコ人とクルド人、スンニー派とアレヴィー派、信仰心篤い者とそうでない者、ムスリムと非ムスリム、民主主義者と保護主義者、世俗主義、自由主義と権威主義など、多くの分裂を含んでいる。

現政権は、社会のこの分裂、微妙なバランスに対処しなければならない。多層構造の社会は、多数派的な(多数の支持を得た者が何でも好きなようにする)考え方では運営できない。反対に、複数派的な(違いを豊かさと捉え、互いに敬意を持たしめる)政権運営が欠かせないものとなる。

エルドアン首相の2011年総選挙までの期間のパフォーマンスは、この社会構造や微妙なバランスを考慮した方針に基づいたものだった。このことが、公正発展党が半数の票を集めた重要な要因の一つであった。しかし、エルドアン首相は、この50%の支持を得て、軍の監視を弱めることに成功した後、過信により、「自分の思うようになる、誰にも耳を傾ける必要がない、ただ単に選挙毎に結果を残せばよい」と考え、自由な民主主義と折り合わない振舞いをするようになった。この態度により行き着いたところは、(どのような意図で言ったのかは曖昧だが)ナビ・アヴジュ教育相が説明したところによると、野党が何年努力しても成し遂げられないことを、つまり他の目的では到底一緒になれなかっただろうグループを反政権でまとめ上げることの成功だろう。

最後には、ギュル大統領が声を上げなければならない状況になった。「民主主義は、選挙で成り立っている訳ではない。メッセージは受け取った。然るべき対応がとられる」と述べた。エルドアン首相は「この言葉の表や裏に何があるのか」を知らず、理解していない可能性はあるが、しかし社会は、ギュル大統領が言わんとしていたことをよく理解した。今は、ギュル大統領が、「ヤヴズ(冷酷王)・スルタン・セリム」のように過ちを繰り返さないことを、支持を表明した多層的な、参加型の民主主義に対し忠実に振る舞うことを願い、期待している。もし、メッセージが伝わったのであれば、まずやるべきことは、イスタンブルの開発事業の権限を、エルドアン首相から市役所や国民に委譲することである。2つ目は、トルコ流のものであろうがなかろうが、公選大統領制への固執を止めさせることだ。

大統領が介入せざるをえない状況になったことは、軍の監督下ではなく、全ての組織や法に基づく議会制がトルコにとっていかに重要であるかを示した。議会制において、国民を代表する大統領と、多数派を代表する首相を区別することが、政権が悪い方向に向かう際に、歯止めとなることを、国民全員が理解しただろう。

私が思うに、首相は変わらなければならない。2011年以前のエルドアン首相になるべきだ。社会の全ての層のデリカシーに敬意を持って接する態度をもう一度持つべきだ。ギュル大統領は、公正発展党の置かれた状況の重大さが分かる党の創設メンバーや要人と一緒に、エルドアン首相に真剣に警告すべきである。なぜなら、軍の監視(軍政)を取り戻し、トルコ・クルド間の衝突を再発させ、トルコが幾多の困難と努力で築いてきた良いイメージを下げることを望む者たちは、すぐそこにいるからだ!

もし、エルドアン首相が変わろうとしないのであれば、そのときには、私は個人的に、彼は11年間続けてきた献身的な任務による疲労または健康状態の悪化により任務を継続できないのだとの結論を出すだろう。その時には、解決策を見つけ出す責任は、国民に任されることになる。
(訳注:ザマン紙はイスラム色強い保守派新聞である。)

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:田辺朋子 )
( 記事ID:30260 )