Serpil Çevikcanコラム:エルドアン帰国演説になかったもの
2013年06月08日付 Milliyet 紙

レジェプ・タイイプ・エルドアン首相は帰国時、空港で演説を行った。バスの上で行われたこの演説には多くのことが言える。しかしこれが思いやりある会見だったとは言えない。
エルドアン氏を10年間首相の座に着かしめ、公正発展党に民主党の記録を更新させたのは、政治の魔除けともいえる思いやりだったのに。
エルドアン首相は非常に困難な局面を経て今いる地位に上り詰めた。
イスタンブル広域市市長だった頃、ある詩を詠んだことで逮捕され、収監された。当時はもう村長職にさえ就けないだろうと言われた。
服役期間が終わっても、国会議員選挙に参加できないことが決まった。自ら設立した政党が与党であるにもかかわらず、自身は国会議員ではなかったのだ。
しかし彼はその後首相にまで上り詰めた。
彼はこの地位に上り詰めるなかで、エリート主義の国家体制に対立し、下層階級とされる人や、「話せない・読み書きできない」と言われる人たち、公の領域から排除された人たちの味方でいた。
首相の成功は彼らへの共感にあった。

■問題が数本の木だけならここまではならなかった

トルコも昨今困難な道を乗り越えてきた。
現在公正発展党の支持基盤となっている層だけではなく、この国を構成するクルド人やアレヴィーをはじめとした幅広い層が疎外され、軽視された。彼らは何年もの間、意思表示の機会を得られず、不当な扱いを受けてきた。
この10年間で公正発展党のために尽くしてきた支持基盤は、自分たちの思いを理解してくれる政権によって傷を癒すことができたが、一方で、理解してくれない、無視されていると考えた他の層は、激しいイデオロギー対立のなかで孤立していった。自分の意思を表現できないという思いが日に日に増した。だからゲズィ・デモは「数本の木」では済まなかったのだ。

■「マイノリティーは調子に乗るな、私たちをいらだたせるな」

首相が空港で行う演説では、彼の政治人生にずっとあったあの思いやりの気持ちがどれほど表れるかが非常に注目された。
首相は演説の初め、「私たちはいかなる時も人々を傷つける側に立たなかった。人々のために奉仕する側だった。今夜あなたたちだけでなく、トルコの全ての村、全ての町に住む人たちに対し、大切な皆様にご挨拶をいたします」と述べた。しかし演説は終始、自分や公正発展党を罠にはめようとする人たちがいるという考えに縛られたものだった。そして首相を歓迎しにきた何千人もの若者が「マイノリティーは調子に乗るな、私たちをいらだたせるな」とのスローガンを叫ぶのを当然のこととして受け止めた。

■首相は何を述べたか、そして何をするのか?

政治においては発言ではなく、行動を見るのが正しい分析につながる。
首相のバスは、エルドアン首相が「家でじっとなどしていられない」と言う層の前に出た最初の場面だった。首相はこれから多くのことを語るだろう。しかし重要なのは彼が言うことではなく、ゲズィ公園デモが要求した自己批判を今後の行動にどれほど活かすかである。
このデモがマイノリティーの運動として認識され、社会的な原動力によるものではなく、公正発展党の反対派が組織化した運動として評価されるのなら、いくつかの過ちが続くということである。
しかしこのデモ運動はゲズィ公園でタンゴを踊る人やクウル公園で英語のスローガンを叫ぶ者、ピアノを弾く前に鍋やフライパンを演奏する人に限られたものではない。
そして最も思いやりを期待している人たちも彼らではないのだ。


(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:30277 )