「ポケモン世代」の反抗
2013年06月09日付 Radikal 紙


イスタンブルにとってのタクスィムは言うまでもなく、アンカラにとってはクズライが同じような意味をもつ。首都の歴史において、どれほど重要な労働運動あるいは学生運動があったとしても、拠点となっていたのはクズライであったが、現在はさらにクール公園も加わった。様々な社会経済階層からなるクール公園の運動参加者とクズライの運動参加者を合流させたのは、警察が双方に遠慮せずに投じた催涙ガスと高圧水であった。

■警察はクズライで決然とした態度

アンカラで5月31日の夜に始まったゲズィ公園でのデモ[支援運動]は、10日目に入った。イスタンブルと他の都市でのデモが一層融和的な状況を収めている一方、アンカラでは警察とデモ隊の間での衝突がさらに加速している。大統領府、議会、首相府、各省庁、各政党本部を筆頭にあらゆる公共機関の本部が首都にあることは、ここアンカラでの警戒態勢が最高レベルに引き上げられる大きな理由の一つである。

警察は、特に、アンカラをそれぞれつなぐ道が交差する場所であるクズライでデモ隊が集合することに許可を与えなかった。このため、昼夜、クズライ広場は激しい衝突の場となった。最近は、警察の干渉がさらに夜の遅い時間に始まり朝まで路地で続いている。警察はデモ隊を時々クズライに抜ける道の入り口で停止させた。警察とデモ隊が対峙している場所の一つがケネディ通りである。

■警察の干渉はクール公園への関心を増した

先週、警察の干渉にさらされたクール公園のデモは、ゲズィ公園のように、まるで「カーニバルの雰囲気」の中で起こった。19時からアンカラの人々は、クール公園になだれこみ始めた。21時からクール公園とトゥナル・ヒルミ通りは人の波に変わった。最初は未熟だったが、だんだんとデモ隊はより組織化された。

■プラカード隊はプラカードを作り好きなものを持っていく

公園の一角にテントを作り、若者たちが深く話し込んでいる。しばしば、携帯電話でメディアの情報を入手し、時にはギターを弾きながら歌を歌い、さらにはバックギャモンをしている。公園のほかの場所では、中東工科大学の学生たちが注意を引いている。プラカード隊を作り、手にはペンとボール紙をもち、作ったスローガンをボール紙に書いている。公園に来た人は好きなプラカードを取り、公園内を歩き始める。毎日新しいスローガンを書いたプラカードをもってクール公園の若者たちは訪問者の前に現れる。そして、これはそのプラカードのうちのいくつかである。

「ロボスキやレイハンル[の爆撃・爆破事件]を忘れるな」、「私たちは30年間ディヤルバクルをこの広場から見てきた」「私の右側には警察の装甲車があり、[攻撃されて]左側に向かせられる」、 「90年代世代はポケモンを禁止された子供のころ以来これほど怒ったことはない」、「同朋がガスを浴びるときに、バリケードを手伝わないものは私たちの仲間ではない」、「女性たちは食事ではない革命を作る」、「私たちは抵抗を本当に愛している」「お前は警察の装甲車が来たら逃げる蛍か」、「性的な罵倒にはNo、抵抗にはどうぞ」、「農場は私たちのもの、公園は私たちのもの、領土は私たちのもの、国は私たちのもの、政府は辞任」、「この抵 抗は30年間、アメド(ディヤルバクルのこと)、ジズレ、ハッキャリ、デルスィムも歓迎している。お前も目を覚ませ」「催涙ガスは、精力を強める」、「蜂起は人になることである。もはや一人一人にそれぞれの物語がある」、「女性と女性、男性と男性、男性と女性。愛は一緒になることである」、「あなたが恋しているならサズを弾け、 あなたが警察なら催涙ガスを撒け、あなたが首相ならモロッコに逃げろ。警察の装甲車の許から愛を込めて」

食べ物は無料であり、ごみはデモ参加者が集めている。公園の別の場所では、食べ物の屋台を作った。「略奪者(注)にはただ:)」という看板とともに公園に来た人に食べ物と飲み物のサービスをしている。木々の中の一本を「抵抗の願いの木」という形にしている。小さな紙に書かれた願いが木につるされている。クール公園の掃除も参加者がしている。手にはごみ袋を持ち公園を歩いている若者たちがゴミ拾いをしている。

■新しい禁止ができた

クール公園でプラカードを広げて、スローガンを掲げ、朝まで当番の若者たちと私たちは話をした。若者の大部分は、ゲズィ公園から始まりトルコ全土に広がるデモ の目的は「自由」であるという意見で一致していた。ある者は、6月11日までに[法案が]大統領の承認・吟味待ちとなっているアルコールの販売修正案を、ある者は、高等教育審議会法案を、ある者は、3人の子供[を産むこと]と妊娠中絶[禁止]に関する[首相と政府の]見解について言及し、「政府は禁止を解くと言って新しい禁止を設けている。私たちのライフスタイルにこれほど干渉することは間違いである」という意見で一致した。

■父親と母親は心配している。

本紙のギョクチェ・アイトゥルは、先週、「ねえ、国家(くに)は、君の父親ではないんだよ」という見出しで、「多くの子供がパソコンの前で何時間も過ごしていると、父親が『何十時間もなにをしている。少し外に出なさい』と子供たちを外に出す。今まさにその子たちは街頭にいる。では、「お父さんたち」は今どうする」と記事に書いた。アンカラで父親と母親が何をしているのかを私たちは目にした。朝まで広場にいる子供たちを密かに見守っている。父親たちは、クール公園のあるいはクズライの近くのカフェで夜遅くまで待っている一方、ソーシャルメディアを通して子供たちが何をしているかを追っている。子供たちが床に付かなければ寝ていない。

(注)首相がデモ参加者にあてた言葉。


(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:30317 )