平和民主党デミルタシュ、エルドアン首相を批判
2013年06月11日付 Milliyet 紙

BDP(平和民主党)のセラハッティン・デミルタシュ共同党首は「ならず者だといって軽視していては、この問題を説明することはできないし、切り抜けることもできない。また、たった一人のならず者によって統治されるよりは複数のならず者によって統治される方がよほど民主的である」と発言した。

BDPのセラハッティン・デミルタシュ共同党首は、党会派会議で事件に関する批評を行った。氏はゲズィ公園騒動に対する政府の反応を批判し、「政府は(デモに 参加するために)通りにいる人々が何をもとめているのか、なぜ通りにいるのか、若者の怒りの底にある本音は何なのかということを理解できない」と述べた。

デミルタシュ共同党首はゲズィ公園の抗議行動が投げかけたメッセージが正しく理解されないならば、自由と民主主義への期待ももう一度棚上げされなければならないと述べた。そして「BDPは誰によるものであれクーデターを支持しなかった。ファシスト的、人種差別主義的、民族主義的な期待を追うこともしなかった。もとより我々の被った苦労はすべてこのような認識のためであった」と続けた。

デミルタシュ共同党首は、タクスィムの現場に居合わせた人々は進歩的・革命的であると述べ、「我々は常に彼らの側にいて、彼らの要求を支持した。彼らが示したビジョンの弁護者となった。あなた方は木を見ても薪だとしか考えないかもしれない。だがそれはあなた方の視点である。ゲズィ公園で一本の木のために団結した人々は、その木の葉や枝の合間に自由を求めているのだ。木を見たときに自由な未来を思い描くのだ。これがあなた方と彼らとの違いである。このことを理解するのはあなた方には難しいかもしれないが」と話した。

デミルタシュ共同党首は、デモ参加者たちはAKP(公正発展党)の政策に不満を持っている人々であると述べ、「ならず者として軽視していては、この問題を説明することはできないし、切り抜けることもできない。 また、たった一人のならず者によって統治されるよりは複数のならず者によって統治される方がよほど民主的である。問題は民主主義を内在化させるかどうかということだ。ただ自分のための民主主義者、自分のためのイスラーム教徒、自分のために自由を欲するという理解だけでは、決して国のすべてを抱えることはできない」と話した。

■「若者をアルコールから遠ざけようとして、ガス漬けにした」

デミルタシュ共同党首はイスタンブルで基礎が築かれた三番目の橋を思い起こさせつつ、エルドアン首相がイスタンブル市長だった頃にこのテーマに関して発表した声明に言及した:「エルドアン政権はチルレル政権が作ろうとしたのと同じ場所に三番目の橋を架けようとしている。更なる森林伐採と更なる環境破壊を引き起こして。エルドアンには代替案もある。海峡トンネルで問題は解決できると言う。だが今エルドアンはこの代替案を挙げた者たちを敗北主義として批判している。(エルドアンは)ここ15日間国内のいたる場所で催涙ガスを用いている。若者をアルコールから遠ざけようとして、彼らをガス漬けにしている。近いうちに夜10時以降のガスの使用が禁じられるだろう。若者はガスに慣れてしまったためこれからはガスを禁止する、とも言い出しかねない。」

■首相としてTシャツや短パンを着て、いつかゲズィ公園に

デミルタシュ共同党首は国内のあらゆる場所で激しい衝突が起こっていると述べ、「政府は、若者たちを強く非難するという姿勢で、若者を理解することからは程遠い姿勢で問題に取り組み続けている。私からのささやかな提案は、若者を理解するために努めてほしい。共感してほしい。驕りを捨ててほしい。首相としてTシャツや短パンを着て、晩にゲズィ公園に行ってほしいということである。(首相が訪れた)その晩、ガスに見舞われたら、もしあなたが朝、ならず者として目覚めてみなかったら、どうなるか。そこで触れる、あの自由の空気はあなた方にも影響を与えるだろう。実際、イスタンブル県知事の足もいずれゲズィ公園に向かうだろう」と話した。


(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:白鳥夏美 )
( 記事ID:30438 )