Murat Yetkinコラム:タクスィムは「よりよいトルコ」への一歩
2013年06月16日付 Radikal 紙

参加者数と期間においてトルコで類を見ないこの大規模な抗議運動は、実はすでに目的を達成した。
まずあることをはっきりさせるため、いくつかの質問を投げかけたい。
タイイプ・エルドアン首相が、タクスィムのゲズィ公園を壊し兵舎を建てるというプロジェクトを「国民投票(レフェランダム)」にかけようとしたとき、現在の状況ではそれが不可能であることを指摘してくれる人はそばにいなかったのだろうか?
というのもその翌日には、公正発展党(AKP)トルコ大国民議会(TBMM)法務委員会のアフメト・イイマヤ委員長と行政裁判所のヒュセイン・カラクルルクチュ長官が、現行の憲法の下では、またゲズィ公園に関する裁判所の決定が待たれる状況下では、国民投票を行うことはできないと発表したのである。
これに対しエルドアン首相は、国民投票というのは言いすぎであったことや憲法上の障害が生じることを考えた上で、「彼らはあらゆることに異議を唱える。それなら住民投票(プレビシット)にかけよう」と言った。このとき首相はおそらく広範囲のアンケートもしくは地域投票のことを言いたかったのだろう。しかし、エルドアン首相に「プレビシット」が本当は何であるかについてアドバイスをしてくれる顧問は側にいなかったのだろうか?側にいる人々は、アフメト・ダヴトオール外相の代わりに外交政策についてステートメントを口にするくせに、具体的な情報を与える段になると、絨毯の模様や天井の飾りに目を泳がせて知らない顔をしはじめるといった手合いなのだろう。
プレビシットは、戦略や体制の変革、特定の地域のある国への統合もしくは分離といった事項に関して用いられる、国民投票(レフェランダム)の一種である。つまり非常に重要な状況において使われる。
過去、トルコにおいて国民投票は数多く行われ、直近では2010年の憲法改正の際に実施されたが、この中でプレビシットと呼ばれる例は一つだけである。それは1938年にハタイ共和国がシリアではなくトルコに帰属することを決定した住民投票である。
(こうした経緯から、)首相と協議していた人々が本当のことを言わなかったために、残念ながら首相は絶えず考えを変えざるをえないという背景が生じた。この3週間にこうした例はいくつも見られる。
たとえば、ゲズィ公園の取り壊しによって建設が予定されているトプチュ兵舎の中にショッピングセンターを建てると主張したのは、エルドアン首相であった。しかしタクスィムの混乱を受けて、ゲズィ公園跡地は(ショッピングセンターには)狭すぎると言ったのも首相であった。アブドゥッラー・ギュル大統領により事態が収拾できないほど混乱した原因として指摘された、警官による過度なまでの力と催涙ガスの使用をもってしても、イスタンブルやアンカラ、イズミルやその他の場所における抗議運動を鎮静化できなかったことがわかると、首相は初めてショッピングセンター計画を撤回した。
しかしおそらくエルドアン首相が「それでも兵舎は建てる」と主張したのは、「彼らは降伏するでしょう」という情報や見解を与えた顧問たちの影響であろう。そうしている間に、トルコもまたその一部を構成している西世界から厳しい声明が届きはじめた。特に、首相がまだ記憶に新しい素晴らしい訪問を行ったアメリカと、我々が加盟を望んでいる欧州連合(EU)から、ときには一日に2回声明が届き、首相にタクスィム(の抗議運動参加者たち)と対話するよう呼びかけていた。トルコ国内のテレビ局と比べて、CNNインターナショナルの(ゲズィ公園運動に関する)少しではあるが特別に延長されたような印象を与えた報道は、エルドアン首相に、問題の次元が変わったという認識を抱かせることになった。「外国勢力」や「利益集団」といった言葉はこのとき発せられた。
ネジャティ・シャシュマズ氏やヒュルヤ・アヴシャル氏(訳注:どちらもゲズィ公園問題に関し、首相と面会した)といった人物らとの試行錯誤の話し合いの時期を経て、首相は、抗議運動が始まった頃に「無法者たち(çapulcular)」と呼んで図らずも反発を煽ってしまったタクスィムの抗議運動家の代表団と面会した。
面会の後、首相は兵舎に関する国民投票(レフェランダム)も住民投票(プレビシット)も諦め、裁判所の決定を待つことに決めた。しかし裁判所の決定が下ると、エルドアン首相はそれさえも非難した。もしこの段階で、裁判所の決定が有する政治的影響について説明してくれる大臣や顧問がいたなら、このような事態にまでは至らなかったはずだ。しかし至ってしまった。参加者と期間においてトルコで類を見ない大規模な抗議運動は、実は目的を達成した。アンカラとイスタンブルで開かれた「国民の意思への敬意」会合によって、エルドアン首相が公正発展党組織と有権者、そしておそらく彼自身を鼓舞しようとしたのだとしても、彼は初めて、政治的指導者さえいない社会的な抗議運動によって、自分の発言を実行することに後れを取ってしまった。これにより首相の無敵なイメージに傷がついてしまった。
私は、この事態がこれ以上の暴力を招かずに収束したとき、トルコが3週間前のタクスィム以前のトルコではなくなることを望んでいる。そこには、多声性や多様性を尊重し、おかしいと思った決定も問い質して撤回させることができると気付いた人々がみずからの存在を証明したトルコがある。
ケマル・デルヴィシュ氏は正しい。このトルコは外からはより良く見える。心配することはない、今後もっと多くの質の高い投資を得られる。そうすれば「公正」のためにも、「発展」のためにもなる。


(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:篁日向子 )
( 記事ID:30465 )