不幸な花嫁、13年を歳月を経てついに釈放:「『自由』は世界で一番美しい言葉」
2013年06月10日付 Jam-e Jam 紙


【事件部:ナーセル・サブーリー】「不幸な花嫁」の名で知られ、姑殺害の罪で13年間獄中にいたコブラー・ラフマーンプールが、昨日2億トマーン〔※自由レートで約571万円〕の保釈金によって釈放された。

 ジャーメ・ジャム紙によると、テヘラン北部の治安隊員らがニヤーヴァラーン地区での殺人事件発生を知ったのは、イラン暦1379年アーバーン月5日〔※西暦2000年10月26日〕のことだった。警察官らが現場へ向かったところ、コブラーという名の若い女性(18歳)が、75歳になる姑と諍いを起こし、彼女を包丁で刺して殺害したことが分かった。殺人特別判事が現場に到着すると、容疑者の嫁に対して逮捕状が出され、テヘラン刑事警察第1基地の捜査官らはその1時間後、ゴブラーをシャフレ・レイにある彼女の実家にて逮捕した。

 容疑者の身柄が第1608刑事法廷に移されると、モハンマド・ソルターン・ハムティヤール判事はこの若い嫁に対する取り調べを開始した。コブラーは判事に、「私の家が貧しいために、55歳の男性と結婚せざるを得ませんでした。夫であるアリーレザーとの生活を始めたその時から、姑による私へのいじめが始まりました」と述べた。

 容疑者はさらに、「一緒に暮らし始めて2年が経ち、ついに事件の日、一瞬だけ自制心を失ってしまい、気づいた時には姑を包丁で殺していました」と加えた。

4度の公判

 コブラーの自供と、刑事裁判所での4回にわたる公判の末、被害者の子供たちの要求によって、コブラーに対しキサース刑(同害報復刑)の判決が下された。

 最高裁判所による判決支持を受け、本件はアーヤトッラー・ハーシェミー=シャーフルーディー司法権長官(当時)の指示により、刑事検察庁和解委員会に送られ、そこで〔コブラーに対するキサース刑免除に対する〕被害者遺族の同意獲得に向けた、同委員会判事らによる試みが開始された。

 数年後ついに努力が実り、慈善活動家や芸術関係者、及び和解委員会の判事らの支援により、かつてキサース刑を要求していた被害者遺族のうち5名が、〔加害者へのキサース刑免除に〕同意することを表明、容疑者の夫であるアリーレザーのみが変わらず刑の執行を主張した。

 コブラーが有罪宣告を受けてから13年間を獄中で過ごす一方、〔刑が未執行の〕囚人らの今後を確定するよう強く求める通達が、先日司法権長官から出された。この通達が出されたことを受け、再びコブラーを救出するための試みが開始され、ついに昨日、彼女は2億トマーンの保釈金によって釈放されたのであった。

 刑事弁護士のアブドッサマド・ホッラムシャーヒー氏は彼女の釈放について、「この13年間、被害者遺族の同意を得る努力が連綿と続けられ、この間、コブラーに対して〔キサース〕刑が執行される寸前の状況に至ったこともあった。しかしその時も、アーヤトッラー・シャーフルーディーの命令によって、すんでの所で刑の執行は見送られた」とジャーメ・ジャムに対して述べた。

 同氏はまた、「ついに慈善活動家や芸術関係者、判事らの支援・協力によって、われわれは被害者遺族のうち、5人の子供から同意を得ることに成功した。本件で同意しなかったのは唯一、コブラーの夫だけであったが、しかしその彼も、〔キサース〕刑の執行には2億トマーンを兄弟姉妹に支払わねばならなくなった〔ために、キサース刑の免除に同意した〕」と加えた。

※訳注:被害者(遺族)は加害者に対し、キサース刑の代わりにディーヤ(賠償金)を要求することができる。ディーヤを要求した場合は、キサースを諦めねばならない。被害者遺族のうち、5人の子供がキサース刑の免除に同意したということは、5人はコブラーからのディーヤで満足した、ということを意味する。もし遺族のうち5人がディーヤで満足したのに、1人がキサースにこだわった場合、キサースにこだわった人物が処刑されるコブラーに代わって、ディーヤを5人に支払わねばならなくなる。この負担に耐えられず、コブラーの夫もキサースの免除に同意した、ということだと思われる。

 ホッラムシャーヒー氏は、「〔被害者遺族が全員、コブラーへのキサース刑免除に同意したとの〕通達が出されたことを受け、13年を経てついに、コブラーは釈放された。彼女にとって、この13年間は生と死〔のはざま〕の毎日だった」と言明した。

「不幸な花嫁」へのインタビュー

 昨日、コブラー・ラフマーンプールが刑務所から釈放された数時間後、本紙記者は彼女にインタビューを試みた。詳細は以下の通り。

「自由」をどう思いますか?

神の与え給うたすばらしき贈り物であり、人間はその価値を十分に理解しなければなりません。私にとって、「自由」とは世界で一番美しい言葉です。

今どんな気分ですか?

(声を詰まらせながら)驚いています。信じられません。神様、どうか夢でありませんように。私は本当に釈放されたのでしょうか?

釈放の知らせをどのようにして聞きましたか?

刑務所の関係者2名が私のところにきて、「所持品をまとめなさい」と言ってきたのです。はじめは、場所が変わるだけだと思っていたのですが、釈放だと言われたとき、一気にひざから崩れおち、号泣いたしました。床にひざをつき、感謝の礼拝を行いました。

昔から一緒にいた刑務所仲間からは、どんな反応がありましたか?

みんな嬉しさのあまり泣いていました。〔お祝いに〕チョコレートを配ってくれました。でも、私はまだ呆然としたままでした。

もし被害者遺族と会うならば、彼らに何と言いたいですか?

私は彼らに大変な恩義を感じています。彼らはマブアス祭〔※ムハンマドが預言者として神に召命された日を祝う祭日〕の日に、私と私の家族に自由と喜びを贈ってくださった。私は彼らに、これからもずっと感謝することになるでしょう。

この13年間を振り返り、もし刑務所を定義するなら、どんなところだと言いますか?

刑務所は生ける者たちの墓場、〔存在を〕忘れられた人々の街です。刑務所では家族は破壊されてしまいます。刑務所を体験するような人が今後いなくなれば、と思います。

釈放後のあなたの家族の反応は?

彼らもまた私と同じように驚いています。自分たちの子供が再び家に帰ってくる日が来るなんて、彼らも信じられかったのだと思います。私が刑務所にいた間、家族もまた、私と同じように辛い思いをしてきました。時間が元に戻ってくれたら、あのような事件が起こらなかったら、と思わずにはいられません。

最後に一言

全ての人々、特に私をどんなときも見捨てなかった慈善活動家や芸術関係者、ジャーナリスト、そして弁護士のみなさまに感謝いたします。自分の過去を償うことができれば、と願っております。


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( 翻訳者:8309036 )
( 記事ID:30481 )