Sahin Alpayコラム:国民の意志は、50%だけのものではない
2013年06月18日付 Zaman 紙

6月7日の午後、ゲズィ公園を守ろうとする人々を訪ねてタクスィムに向かった。ロンドンのハイドパークを思い起こさせるような空気が漂っていた。

例えここに(ハイドパークにあるような)兵舎がつくられなくても、ゲズィ公園が、ハイドパークのように、あらゆる見解の持ち主が集い考えを他人と共有できる表現の自由を有する広場となれば、どんなに良いことかと考えた。次の日の晩、ある友人に会うために[アジア側の]スアディイェへ向かった。そこでは数百人の人々がグループを成し、「我々は皆トルコ人だ!我々は皆 ムスタファ・ケマルの兵隊だ!」というスローガンを掲げて叫び声を上げ、クラクションを鳴らし、笛を吹き、道をふさいでいた。背に毛皮の帽子を被ったムスタファ・ケマルが描かれた旗を持って歩く人々。その光景は衝撃的であった。

バグダード通りに広まったデモは夜遅くまで続いた。私の知る限りでは、デモを先導していたのは[労働者党党首]ドウ・ペリンチェキとオジャランとの写真が広まったことで労働者党から離脱した党派であった。このグループの最大の特徴は人種差別なトルコ民族主義とクルド民族への過度な敵意だ。デモ隊の目的は、ゲズィ公園プロテ ストをチャンスとして可能であれば軍部の力を蘇させること、そして[クルドとの]和平プロセスを失敗させることであると見られている。恐ろしい話だ。

この光景を見た時、イスタンブル、アンカラ、アダナ、そして他の場所でオフィスを襲い、市や警察の車両に火を放った行動主義者たちのことが頭に浮かんだ。 彼らはゲズィ公園プロテストのことを耳にするなり「革命」の導火線に火をつけるための機会だと考え、どこかの過激な組織が正体を隠した兵隊たちである。 スアディイェのデモ隊は自分たちとは異なる考えを持つ人々に不快な思いをさせ、交通を麻痺させて大いに反発をうけたものの、無差別に攻撃をすることは無かった。一方、兵隊たちは攻撃的だった。この点では両者には類似点は無いが、共通点がある。どちらも民主主義をこれっぽっちも信用していないという点だ。

首相がまずアンカラ、そしてイスタンブルで催し何十万人もの人を動員した「選挙」集会[の模様]をテレビで見ていた。首相のメッセージは明確なものであった。我々は国民の意思[を代表]している。我々の信条、思考、生活様式を共有していない者たちは我々に合わせなければならない...。考えた。民主主義の最も重要な要素のうちひとつは明らかだ。国民の政治参加である。国民は選挙の時だけでなく、常に表現の自由を行使しつつ政治的決定に関わるべきだ。そうでなければ、民主主義は保障されていない。しかし、果たして全ての政治参加が民主主義的であると言えるであろうか。いや、そうではない。民主主義の力を強めるものもあれば、そうでないものもある。多数派による統治に対するクーデター、革命の挑発も、少数派を多数に頼んで抑圧する集団行動も、どちらも民主主義を崩壊させるものだ。

ゲズィ公園プロテストは19日目に警察の武力介入によって解散となった。首相が「決定した、(再開発を)行う」という主張を諦め、司法の判断を待ち、ことあるごとにイスタンブル市民による住民投票にかけることを約束したことで、プロテストは[実質]成功を収めていた…。平和的なかたちで終わらせるのが正しかった。だが、そうはならなかったのだ。

だが首相がゲズィ公園問題で譲歩したということは、次の「事実」を完全に消し去ってしまったわけではない。首相よ、自分を騙さないでほしい。現在のこの危機は「内と外の敵」によるものではない。全く必要が無いのに国を緊張させ、分裂させ、敵対させ、味方にさえも敵対し、「国民の意思」を自分自身の意思に同化させ、あらゆる「力」を自分のもとに集めようとした首相が引き起こしたものなのだ。「国民の意思」は50%だけで成り立っているのではない。その「国民の意思」を多数派にすり替えてしまえば、多数派による抑圧が始まってしまう。だが必要なことは、多様な人びとが互いを尊重して暮らすことを保障することである。


(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:白鳥夏美 )
( 記事ID:30492 )